2017.12.21 15:45
音楽のパクリについて
増田聡(大阪市立大学准教授・音楽学)
「どこまで似てたらパクリなの?」「パクリとリスペクトの境界ってどこ?」といった(よくある)疑問にはあまり答えられないかもしれません(すみません)。その代わり、われわれが何かを「パクリ」と呼ぶとき「そこで何が起きているか」を美学/芸術哲学の視点からやんわり眺めてみます。
「よく似たメロディ」と「同じメロディ」は「同じ」なのでしょうか? いろんな「よく似た」ポップスを聞き比べながら考えましょう。
Todd Rundgren “Good Viblations” (1976)
The Beach Boys “Good Viblations” (1966)
トッド・ラングレンによるビーチ・ボーイズのカバー。通常、ポップスではこのような「原曲そっくり」を目指すカバーは行われない。カバーにおいてはほぼ必ず「なんらかの(あたらしい)創作」が行われている。
The Jimi Hendrix Experience “Purple Haze”
Kronos Quartet “Purple Haze”
The Shamen “Purple Haze”
「パープル・ヘイズ」の原曲とカバー2つ。ポップ・ミュージックにおける通常のカバーはこのようなもの。
10cc “I’m not in love”
ザ・ゲロゲリゲゲゲ「I’m Not in Love」(『パンクの鬼』収録)
アルバム曲名表を参照して聴いてください↓
ザ・ゲロゲリゲゲゲによる10ccの「カバー」。これは実質的にはカバーとは言い難いが、形式的には(原曲のタイトルが名指され、その「演奏」として扱われている点で)「カバー」であると見なさざるをえない(ちなみにJASRACへの著作権料支払いは行われていない)。
ポップ・ミュージックにおけるカバーは、トッド・ラングレンとゲロゲリゲゲゲのそれを両方の極とする範囲内で、さまざまなかたちで別作品を参照しつつ「創作」を行い、「同じ曲の異なる演奏」と称する。カバーとは「原曲を再び演奏したもの」というより、二つの「違う曲」の間に構築されるリンク関係と理解する方が適切。
日本で「音楽の剽窃」が争われた裁判例は現時点で二つのみ。
「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」事件と「記念樹」事件
Tony Bennett “Boulevard Of Broken Dreams”
「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」事件で「剽窃された」と訴えがあった原曲(もとは1933年の米映画の主題歌)
石原裕次郎「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」(当日は越路吹雪・歌で聴いた。YouTubeで聞けないためこちらを挙げておく)
「剽窃した」と訴えられた曲。裁判では原告敗訴、つまり「この曲は剽窃ではない」という判決がくだった。
「どこまでも行こう」
「記念樹」事件で「剽窃された」と訴えがあった原曲。ブリジストンのCMソング。
「記念樹」
「記念樹」事件で「剽窃した」とされた曲。こちらでは「ワン・レイニー〜」事件と異なり原告勝訴。つまりこの曲は「著作権侵害」とされ現在ではCDは廃盤。
裁判によって「剽窃」とされた曲であるが、「ワン・レイニー〜」事件の両者と比べて明らかに「こちらは剽窃」と言えるだろうか?
オレンジレンジ「ロコローション」
リリース当初は自作曲だったはずが、2004年紅白歌合戦の放送ではGerry Goffin & Carole Kingの作詞曲と表記され作曲者クレジットの変更が発覚。ネット世論や週刊誌で炎上。のちに、ゴフィン&キングの音楽出版社からのクレームでクレジットが変更された事実が明らかになる。
Little Eva “Loco-motion”
ゴフィン&キングによる「原曲』。しかしそんなに似ていない…(「ロコローション」のサビ終わりのフレーズが “Loco-motion”のAメロと似ているのみ)
Shampoo ” Trouble”
むしろ全体的な構造としてはこちらが「ロコモーション」の雛形となっているように感じられる。
音楽的類似性よりも「タイトルの類似性」という文脈が「パクリ」の認定に影響した一例。
TINY BRADSHAW “THE TRAIN KEPT A-ROLLIN”(1951)
ロック・クラシックの「トレイン・ケプト・ローリン」の原曲。
Johnny Burnette Trio “Train Kept A Rollin'”(1956)
ブラッドショウのバージョンとかなり印象が違うが、著作権者はブラッドショウ。
The Yardbirds “Train Kept A Rollin'”(1965)
著名なヒット・バージョン。著作権者はブラッドショウだがバーネットのギターリフを下敷きとしたサウンド。
サンハウス「レモンティー」(1975)
日本ロック史初期の「お手本の模倣」。明らかにヤードバーズの「トレイン・ケプト・ローリン」が下敷きになっているが、著作権者はサンハウス名義。
音楽的な創作性の継承関係と著作権クレジット(お金の行き先)が別のロジックに属していることがわかる。
Led Zeppelin “The Lemon Song” (1969)
ハードロックの祖であるツェッペリン作曲として当初リリースされたこの曲も、シカゴブルースの大物であったハウリン・ウルフ(ブルースブームであった当時の英国では著名だった)の曲の剽窃であると非難され、のちに作曲者クレジットが変更された。
Howlin’ Wolf “Killing Floor” (1964)
ベースラインの類似性に注目(こういう場合は「注耳」
と記すべきか)。
しかしこの時点では生成途上にあったハードロックが、
音楽史の中に確固とした位置を占めた歴史を経たこんにち、
ツェッペリンとハウリン・ウルフによる二つの曲は「全く別物」
に聞こえてくる。そのことは、音楽の類似性を発見し「パクリ」
とみなす聴取のありようが、歴史的な聴取の文脈変容、すなわち「
音楽のどの側面を重要なものとして聴いているか」
の違いに左右されているという事実を指し示している。