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ニュートラルな街、トロント。

Text by Tsukasa Kondo    文:近藤 司

年末にロンドンを初めて訪問したのですが、事前にマスヤマコム氏に「ニューヨーカーがロンドンに行くと、元ネタに見えるだろうね」と言われた通り、ただ街を歩くだけで「おお、ここはウェストビレッジみたいだ」「これはメトロポリタン美術館みたいだ」とマンハッタンの元ネタをあらゆるところに確認することになりました。

そして10日間ほどの滞在の後、トロントに帰国して驚いたのは少しリラックスしている自分に気付いたことです。それは自宅がある場所に戻ってきたからホッとする、ということではなく自分の政治的な/歴史的な属性を意識しなくてすむ、という面白い感覚でした。その時、横を歩いていたパートナーに向かって思わず口にしたのは「カナダは他の国よりもニュートラルで良いね」という言葉でした。

ロンドンにいると、ましてや観光をするとなおさら「大英帝国!!」という歴史とそこから来る富や国民の誇りのような物に圧倒されます。「この国は極めて豊かな時代をものすごく長い間経験してきたのだな」という印象が、ちょっとした建物や人々の身なり、言動に見えてしまうのです。ましてや他国の歴史的遺産や芸術作品を展示する大英博物館を見て回ると、その歴史と富、誇りに対して良くも悪くも何らかの感情を抱かずにはいられません。ロンドンは、イギリス人が歩くのと、私が歩くのでは見える景色が全く違うのだろうなと想像させられました。

当たり前過ぎて「何を今更」と言われるかもしれませんが、人は誰でもおぎゃーと生まれた瞬間に人種、性別、国籍、家系、といった属性によって社会的な特権や社会的な逆境を手にします。それが私達それぞれが持つ、世界の見え方を形作るわけですが、トロントの場合は誰であっても比較的まだフラットに映るのではないかなと思います。それが前述の「ニュートラルだ」という発言の理由です。

例えば私はゲイなので世界の様々な国々で死刑の対象になり得ます。そんな国を訪問することを想像すると、「おお、私はゲイだから刑罰の対象になるのだな」と強く意識するでしょう。ポリティカル・コレクトネスが普及しており、LGBTに対する権利に関しても進歩的(という言葉を使うのは憚られますが)なカナダでは、逆に自分が属している「ゲイ」というカテゴリーについて意識することがまずありません。

制度的なものにプラスして、トロントは急激な人口流入に併せてかなり人工的に拡大をしてきた都市です。歴史の積み重ねを感じるような建築物はそれほど多くなく、ダウンタウンには特徴のない高層ビルが並びます。そういう点では北米の多くの大都市ともあまり違いません。退屈だ、とも言えますが、逆にこのニュートラルな感じを自由だ、と感じることができるのは発見でした。

これについてロンドンに帰ってきてから、ジワジワと事ある毎に考えているのですが、街のデザインや広告、建築物はそれぞれが具体的な美意識によって作られているわけですので、「何が正統な物であるか」というメッセージを避けられないと思うのです。極端な例で言うと、日本家屋が多く並ぶ街ではその日本の伝統様式に権威がある、ロシア正教の教会が街の中心に大きくそびえ立っていればロシア正教に権威がある、白人の美男美女がポスターに並んでいればそれが美の典型である、というメッセージが出ざるを得ない、という具合です。

日本を含む、多くの国の多くの人は「この国の文化にとっては正統な物はこれ」と決まっていると感じているでしょう。上のように私がグダグダと興味を注いでいるようなトピックでも、「いやいやこの国は歴史の結果そうなってるんだからそういうものなの」と一蹴されてしまうことかもしれません。が、アメリカやカナダのような移民の国(先住民からすると迷惑な話ですが)では「正統って何さ」というのは深刻な問題なわけで。特定の宗教、人種、文化が正統であることを主張しない街作りって可能なのかなぁと妄想していると、高速道路の柱に「カナダは白人至上主義に基づいた国だ!」と告発する、エリザベス女王の顔に大きくバツ印が描かれた張り紙が目に入りました。

白人至上主義を主張する張り紙ではなかったのですが、カナダでエリザベス女王の顔にバツ印=白人至上主義に反対=カナダの立憲君主制に反対というスタンスが日本人にはピンと来ないかなと。。。

「そんな目に映る物全てを深読みしなくても」という自分の中のもう一人の声が聞こえながらも、目に映る全てのことはメッセージだってユーミンも言ってたしなぁと、思索を続けるトロントの木曜日でした。

牧村憲一・プロフィール

牧村憲一(まきむら・けんいち)/ Kenichi Makimura  音楽プロデューサー
1946年11月3日 東京渋谷生まれ。

早稲田大学在学中にユイ音楽工房の設立に参加する。その後CM制作会社オン・アソシエイツにて、大瀧詠一の『サイダー73』などのCM制作。1975年以降、シュガー・ベイブセンチメンタル・シティ・ロマンスの制作・宣伝に携わり、大貫妙子竹内まりや加藤和彦たちのマネジメント、ディレクションを開始。

資生堂のCMソングを多く手がけ『不思議なピーチパイ』( 竹内まりや)、『お帰りなさい秋のテーマ」』(加藤和彦)、『い・け・な・いルージュマジック』(忌野清志郎坂本龍一)がある。

1984年、細野晴臣が主宰するレーベル“ ノン・スタンダード”に制作担当プロデューサーとして参加後、プロデュースの仕事の基盤をレコード会社に移転、その最初のアーティストがフリッパーズ・ギター。“TRATTORIA”、“WITS”など幅広くレーベルを立ち上げる。

2007年から6年間、昭和音楽大学にて非常勤講師。津田大介氏と『未来型サバイバル音楽論」』、『ニッポン・ポップス・クロニクル』、共著『渋谷音楽図鑑』、『「ヒットソング」の作り方』、坂本龍一監修『コモンズ・スコラ』第16巻「日本の歌謡曲・ポップス」などの書籍を発表。

監修者として『エゴ~加藤和彦、加藤和彦を語る』、『加藤和彦ヨーロッパ3部作リマスターCDボックス』、『大貫妙子 デビュー40周年 アニバーサリーブック』。

レギュラー出演のラジオ InterFM897「music is music」 毎週日曜日23時放送中。
現在、慶應大「現代芸術」講座担当。

世界一謎な映画館?!

Text, photo/video by Masu Masuyama 文・写真・動画:マスヤマコム

タイのバンコクに行ってきた。バンコクといえば、寺院めぐりや水上マーケット、本場のタイ料理というところがツァーの定番だが、今回は「それ以外」をディープに体験してきた。キーワードは「陸続き」。たとえばタイと中国、国境は接していないが非常に近く、香港からバンコクは飛行機でほんの3時間である。(上の動画(映画館?)については、下の方で紹介します)

オーストラリア人カメラマンのNさんに案内してもらったチャイナタウン。夜の表通りが、きらびやかなネオンと雑踏でパワフルに躍動するのに対し、昼の裏通りは、地元民が静かに生活する場所だった。
1月は換気で雨は少ないのだが、気温は32度くらい。バンコク在住の人によると「これで涼しい方」だそうだ。


バンコクはチャオプラヤー川を中心とした「川の街」。金色を多用した橋のデザインが、チャイナタウンの近く、というのをイメージさせる。

 

バイクから降りてきたばかりの地元のおじさん。プラスチックのサンダルを自分好みに改造。


バンコクでは(というか中国以外のアジアでは)宗教が身近にある。


渋滞とは無縁な裏通り。


置いてあるペットボトルは「お供え物」でストローが付きもの。飲みかけを置くはNGだそう。


裏通りにも、小さい屋台が。



パナソニックではなくナショナル!


ハロウィンとは(多分)関係がない、トゥクトゥク(三輪タクシー)の装飾。


観光客はゼロだが、見ごたえがある寺院。


絵ではなく3D。


日本の寺院とは色彩感覚がまったく異なる
海外でよく思うのだが、日本のノラ猫は栄養がいい。


ひこうき雲


これには驚愕、迷路のような道の奥にある小さい寺院なのだが、なぜか立派なヴィンテージ35mmのプロジェクターがあり、映画を上映している。しかし「観客」はほとんどゼロ。映画の内容は中国のダンスや歴史劇映画など、様々なようだ。案内してくれたNさんは、このプロジェクターやフィルムを保存する活動をしたい、とフィルム上映のオペレーションをしているリーダーらしき人物にタイ語で話しかけていた。Nさん、この場所には何度か来ているが、彼に会ったのは初めてだそうで、上映もいつもしているわけではなく、今日はラッキーだと私に言う。

ここに行った後、バンコク在住のタイ人カメラマンや日本人の映画ライターなどに、この寺のことを話し、動画を見せてみたが、誰も知らなかった(そして全員が場所を知りたがった)。

その「映画館寺院」の隣、というか表側にあるのが肉マン屋さん。手づくりでとても美味しそうだが、Nさんによると、なんとオンラインでオーダーを受け、デリバリーもするという。

チャイナタウンの新しい顔は、デザインやアート。ここは通りがかりで入った、まだ完成していないジュースバーだが、タイ東北地方の伝統的建築物を、室内に再現してある。多分、これがバンコクの先端。

かなり長くなってしまったので、続きはまた書きます。

ゲスト寄稿、山内マリコさん(作家)。

新春スペシャル、マスヤマがInterFMの番組で共演している友人、作家の山内マリコさんにゲスト寄稿してもらいました。お題は「パリ、NY、東京」。メルシー、マリコフ〜!(マスヤマ)


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海外旅行で美術館に行く。

はじめての海外旅行はパリ、2度目はニューヨークだった。いずれも仕事にかこつけて計画した旅で、市内をひたすら歩き回り、他地域には足を伸ばさなかった。そんな局所的な体験でなにを語れるはずもないのだけど、美術館にはちょこちょこ行っているので、少しは比較になるかもしれない。

 美術館は、アートに興味がある人もない人も、「観光客」という存在になったならば、旅の日程に必ず入れ込む定番スポットだ。わたしもとくに美術館めぐりを目的にしていたわけではなく、行き当たりばったりにその日の行動を決めていたのに、美術館にだけは律儀に行っている。

 しかしわざわざ外国に来て美術館に行くというのも、ちょっともったいない感じがしてしまって、なかなか旅程のメインには据えられない。なにしろ美術館という「ハコモノ」に入ってしまうと、肝心の「街」がいっさい見られなくなるわけで……。だけど、美術館それ自体が世界的観光スポットだったりするので、行かないというのも、それはそれでもったいない。結果、すごく中途半端な心持ちでチケットの列に並んでいたりする。

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 いちばん酷かったのはルーブル美術館のときだ。はじめての海外旅行で丸1日を美術館に費やすなんて大博打には出られず、かと言って「ルーブルなんか行かなーい」と無視することもできず、わたしは同行の友達に「一応、行きたいな……」ともじもじしながら告げた。友達はすでにパリ旅行経験者でルーブル来訪歴アリ。彼女、たぶんすごく、行きたくなかったと思うけれど、「せっかくパリまで来たんだから行っておいた方がいいよ」と了承してくれた。しかしここからが地獄だった。

 ルーブル美術館の中庭部分にそびえるガラスのピラミッドを、ずっとただのオブジェだと思っていたけれど、あそこは入口で、長蛇の列が広場にびろーんとのびている。仕方なく列につき、30分以上待たされるうちに、もはやアートを見るようなテンションではなくなってしまった。ようやく中に入ってチケットを買い(15ユーロ/2000円弱)、館内地図を見てその広さと人の多さに絶望。全貌を把握することはあきらめ、「せめてモナ・リザだけは拝みたい」と一点突破の作戦に切り替えた。そして、館内のあちこちに掲示された〈モナ・リザはこっち→〉と書かれた案内標識をたどって目的を遂行(人混みの後ろからチラ見)。「我は『モナ・リザ』を見たなり」という既成事実だけ作るや、もう満足とばかり、踵を返したのだった。結果、本当に『モナ・リザ』を見た記憶しかない。

 それからオルセー美術館にも行った。ここも入館までにだいぶ並ばされたけど(思いつきで行っているので、WEBでチケットの手配などをしていない点がそもそもよくない)、元は駅だったという建物は、ルーブル美術館に比べればよっぽど人間にやさしいサイズ感だし、絵も重厚系じゃなくて印象派あたりのキャッチーな名作ぞろいでとてもよかった。入館料は14ユーロ(約1800円)だが、フランソワ・ポンポンのシロクマを見られただけでも充分もとは取れた。はじめて見る作品でも「こりゃいい絵だ!」と唸らせる逸品ばかりだった。

 さらにはパリ最終日、プチ・パレに寄ってカール・ラーション展に滑り込んだ。規模はだいぶ小さいが、開館直後はチケットを買うのに大行列の上、遅々として進まない。わたしたちの前に並んでいるパリジェンヌもだんだんイラつきだして、「どぉーなっとんのや!?」みたいな文句をしきりに吐く。しかして列が一向にさばかれない原因は、受付のマダムにあった。待たされている人々の殺気をいっさい解さず超マイペースに、客と一言二言にこやかにあいさつを交えながら優雅にチケットを売る受付マダム。このマダムのせいであんなに待たされてたのか! とそのときはムカッときたけど、何気にこれがいちばんパリっぽい体験だったかも。

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 短い滞在でどの美術館に行くべきかは本当に悩むところだけど、ニューヨーク到着翌日、シャレにならない記録的大雪に見舞われてしまい、MOMA(ニューヨーク近代美術館)一択となった。これだけの大雪なら空いてるはず~とほくそ笑みながら、ホテルの目と鼻の先にあるMOMAに朝イチで行ったが、同じことを考えた観光客でそれでもけっこうにぎわっていた。平常時ならどれだけの混雑なんだろうと恐ろしくなる。そしてもっと恐ろしいのはチケット代。なんと驚異の25ドル(約2800円)! 差し出したクレジットカードを思わずひっ込めそうになったわ。

 チケット代の次に印象的だったのはクロークである。コート類は1階で預けないといけなくて、クロークには列ができていた。だがその列が、みるみるうちに捌(は)けていく。クロークといっても、ホテルの宴会場にあるような、カーテンの奥にいちいちスタッフが消えていくようなまどろっこしいのじゃなくて、コート預かり専用の一大システムなのだ。

 MOMAのクロークは、受付カウンターの奥の巨大な空間に、クリーニング屋のような大きなレールが何列も設置され、ハンガーが無数にぶら下がっていた。スタッフが次々に客のコートを受け取り、自動で流れてくるハンガーにてきぱき掛け、スムーズに預り証と交換していく。シンプルだけど大掛かりで、大げさで、実にアメリカ的! ニューヨーク旅行をとおして、わたしはこのクロークのシステムにもっともアメリカを感じた。だって冬場のコート類の一時保管のために、これだけのスペースを確保し、こんな一大システムを作ってしまうんですよ!? なんていうか、物事を合理的に処理することにかけて、目指す高みが違う。クロークシステムの、工業製品的な機能美に魅了されると同時に、プチ・パレの受付マダムとの差にお国柄を感じずにはいられなかった。それから、日本の戦闘機は熟練職人にしか作れないマニアックな設計だったけど、アメリカの戦闘機は誰でも作れるシンプル設計でマリリン・モンローも工場で作ってた、みたいな逸話を思い出した。そういうことだ。とにかく、そういうこと! 

 システマチックなだけでなく、そのクロークは美しかった。天井にはりめぐらされたレールのカーブ、丈夫そうなハンガー。もし日本で同じようなものを作ればここで、百均で調達したピンクとか蛍光ミドリの不揃いなプラスチックハンガーを使ってしまいそう。もしくはスタッフ全員に「家から余っているクリーニング屋のハンガーを持ってきてください」みたいな通達が出されるとか。とにかくああはいかないだろうな。規模的にも、美的にも。

 クロークを全力で褒めてしまったが、MOMAは展示作品も素晴らしかった。実はアンリ・ルソーの『眠るジプシー女』やアンドリュー・ワイエスの『クリスティーナの世界』といった看板作品にたどり着く前に、大雪によって閉館となり追い出されてしまったのだけど(25ドルも払ったのにキィー!)、それでも蔵出し系のコレクション展で見た作品はどれも忘れがたい。「本当におもしろい攻めてる現代アートは全部ここにあるのか……」とひたすら驚嘆だった。ああ、もう一度見たい。

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 で、東京の美術館はというと、どうなんだろう。観光目的でやって来た外国人は、東京で美術館に行っているのか? 街で見かける観光客の数からすると、ハコモノの中で見かける外国人はかなり少ないように思う。トーハク(東京国立博物館)なんて日本の歴史を網羅してもらうのにうってつけのはずだけど、ほとんどの解説文が日本語オンリーでそもそも閉じているし(そして素人には意味不明なほど難解)。江戸推しの象徴である江戸東京博物館も、テーマパーク感が強くてちゃちな印象だった。

 国立の美術館も、外国人目線で見るとあんまり魅力的ではない。竹橋にある東京国立近代美術館の所蔵品は、明治以降に若者たちが、西洋文化を必死に咀嚼して苦心しながら描いた作品と思って見るとすごく泣けるのだけど、西洋人的には鼻で笑っちゃう代物なのかもしれない。ル・コルビュジエの建築が自慢の国立西洋美術館も、ありがたがってるのは日本人だけかも。大人気なはずの浮世絵も、どこにまとまった常設展示があるのかいまいちわからないし。外国人に人気なのは、すみだ北斎美術館や根津美術館、太田記念美術館あたりだそうだけど、ルーブルやMOMAと並べて語るにはちょっと小粒かも。

 文明開化以降の外国コンプレックスとその克服、オリジナリティの模索もそうだし、浮世絵にはじまった逆輸入ブレイク&再評価(そして異常に「日本すごい」と持ち上げる)の流れから考えると、日本人は自国のものを評価して大事にするのが苦手なのかも……と書こうとした瞬間、この文章もまさにその手の自虐だなぁと、放った矢が自分に返ってきてしまった。東京はパリやニューヨークと比較しても見劣りしない、最高にエキサイティングな素晴らしい都市です!

山内マリコ

1980年富山県生まれ。大阪芸術大学映像学科卒。
2008年「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞し、
2012年『ここは退屈迎えに来て』(2018年10月19日より全国公開) でデビュー。
主な著書に『アズミ・ハルコは行方不明』(2016年映画化)
『さみしくなったら名前を呼んで』『パリ行ったことないの』『かわいい結婚』
『東京23話』 『買い物とわたし お伊勢丹より愛をこめて』『あのこは貴族』
『皿洗いするの、どっち? 目指せ!家庭内男女平等』 『メガネと放蕩娘』 など。
最新刊は『選んだ孤独はよい孤独』
(2018年10月現在)

フランス在住の歴史学徒に「黄色いベスト」について聞いてみる(パート4)

世川祐多から:

Q3:大都市圏はリベラルで田舎は保守か? 何が左派と右派を分かつのか。

A. フランスにも、保守地盤の田舎はあるにはあります。しかし、一概に田舎がみな保守とはいえ ない現況があります。

統一県議会議員選挙の結果の推移をみてください。(青が右派・ピンクが左派)


サヴォアやマンシュのように、常に右派が勝つ保守地盤もあるにはありますし、南仏のように常に左派が勝つ地盤もあります。
マンシュがなぜ保守派が多いかというのは、伝統的にこの地区は伝統主義で王政復古を志向するからだそうです。それ以外は、あまりネットに理由が見当たらず、現地に行って聞くしかありません。歴史的経緯があるはずです。しかし、ほとんどの地域は左派が勝つときもあれば右派が勝つときもある。2015年からは今に続く通り、右派が盛り上がってきているように見えますし、2008年は左派旋風があったようです。

これは、私のブログの「黄色いベスト(3)」で、左翼も右翼もナショナリストなのだということを説明しましたが、フランス人の多くの投票傾向というのは、国としての方向性が、こちらの方がいいか悪いかで決まります。つまり、多くのフランス人が支持政党を決めているわけではなく、国のあり方の指針を示し、多くの賛同を得た議員なり大統領が勝つということです。右派も左派も普通リベラリストのナショナリストばかりですから、何をもって右派と左派を分かつかが問題となります。

フランスの黄色いベストたちは主流が職工左翼で、今やマクロン退陣運動を展開し始めましたが、彼らはアナーキストを除けば、多くがフランス国旗を掲げております。黄色いベストとは無関係ですが、フランス共産党と左翼戦線の共闘ポスター「資本主義では金持ちにしか決定権がない。いまこそやるとき、レジスタンスに参加しよう!」でさえ、こんなものがあります。

日本では左翼が日章旗を掲げるということはまずありませんし、彼らが愛国を謳うこともほぼありません。日本共産党が日章旗や旭日旗を掲げていたら意外すぎて吹き出すと思います。通常、武力放棄や9条護持、反権力・人権・労働者の保護などを掲げ、日本の国体は論じませんし、極左団体の支持を得ることから、反日と呼ばれていますが、こちらの左翼はアナーキストを除いてナショナリストですから、反仏とは呼ばれません。

また、フランスの軍備放棄・核武装放棄なども極端な反戦団体や反核団体を除けば、主張しません。国家の自衛権の問題や安全保障の問題は、右派も左派も意見が同じことが多いわけです。戦争は嫌いでも、国軍は大切にされ、国家の安全保障は第一であります。

では、フランスでは何をもって左翼と右翼を分かつのかといえば、左翼は通常社会主義や共産主義を基本理念に、民衆による国家の革新を求め、富の配分を主張します。右翼は、伝統主義、王政復古、モラル、などを理念として国体の向上を掲げます。すると労働者や移民を多く有するパリや近郊は、どうしても左派が強くなりますが、しかし、右派がいないというわけではありません。高級な地区は確かに右派です。

田舎も伝統的にそこで暮らしてきた、ブルジョワやカトリックや百姓家を中心に、伝統主義者が多いので保守が多くなりますが、その他穏健な労働者など、中道な人たちは、国の行く末を任せるのが左派の方がいいと思うときは左派に、右派がいいと思うときは右派に入れるわけです。すると、フランスでは、揺るぎのない、確実な右翼・確実な左翼という人間は、何に起因して分かたれるのでしょうか。これは、一にアイデンティティ、二に経済事情です。

まずはアイデンティティ。フランスは、封建社会・身分社会を経ており、一応古くからのフランス人の家々は表面的ではなくても身分を持ちます。伝統を重んじるのは、伝統的な家庭、すなわち、貴族・昔からのブルジョワ・百姓です。カトリックは極めて少なくなったといえども、いまだに残るカトリック教徒はこれらの階級に多くいます。

しかし、全体として彼らの数は多くはない。これが揺るぎない右翼。逆に、伝統を重んじないのは、職工や労働者という実は極めて近現代的な肉体労働の職業に位置づく人々。都市の平民などです。これらが揺るぎない左翼の中核。また、社会的に下位に置かれがちな黒人やアラブ人などの移民は、富の再分配や人権を求めて左派に行くことが多いのは想像に易いと思われます。

二に経済事情。新興ブルジョワ、あるいは、エリートというのも近現代の産物ですが、マクロンのようなエリート層。移民といえども、金銭的に成功している人というか、金に困っていない人々。これも右派になります。彼らは新自由主義を標榜することが多くあり、伝統とはかけ離れることが多くありますが、資本の側にいますから左翼にはなりえません。経済的に困窮する者は、どうしても左翼になります。あとは、移民であっても、これ以上移民の数が増えたら、失業率があがって自分たちがさらに圧迫されることを恐れる人が、右派になるという複雑なケースもあります。

日本もこのように、伝統と経済をもってして、アイデンティティで分かれる右翼と左翼の構造は同じだと思います。公家や武家という人たちは、無論、上級下級も合わせて、伝統への意識が強く、右翼になります。社家も、通常神道という伝統を担っているわけで右。お寺さんの家なども、宗派により例外もありますが、だいたいは右が多いでしょう。農家も、戦国ぐらいからその土地を耕し続け、伝統の生活に位置づきますから右が多い。

日本は家や先祖信仰というものがあるので、日本で伝統を重んじない階層というのは、実はないと思うのですが、近代以降スラム化したり、社会の下層に落ちたために、社会に対しルサンチマンを抱かざるを得ない階級は、左派になるでしょう。富裕層が右派に分類され、貧困層が社会主義や共産主義に共鳴するのも同じです。フランスより、日本の方が本質的に右派が多く、これをして、戦後の自民党の55年体制が維持され、だいたい政権は自民党が担う現状があると思います。

しかし、フランスと決定的に違う問題があります。それは、ナショナリストの左翼と伝統主義の保守政党に欠けることです。ナショナリストの左翼というのは、昔いました。浅沼稲次郎という社会党右派の重鎮です。彼は古来より続く皇統を重んじる尊皇家であり、三宅島の庄屋の家柄のままに、農耕社会たる日本の伝統を大切にしました。民社党というのもこの系譜を引き、自衛隊を擁護し、反共の社会主義という筋の通ったナショナリスト左翼政党でした。

しかし、なぜかこういう政党が消えてしまった。フランスは共和制以前を見据えた党があります。反対に、日本には伝統を定義し、これを保守せんとする政党が一つもない。伝統を定義することとは国体を定義することであり、これが日本の政治家は苦手です。つまり、「フランスは王様と農業だよね」というような伝統に鑑みた国のあり方の定義です。自民党は保守政党の代表のように言われているけれども、伝統主義ではない点からして、保守保守ではない。日本維新の会とかも保守野党ではあれ、伝統主義ではない。

歴史に鑑み、日本の伝統とは何か、しっかり吟味・定義して、明治以前の日本を見習って、日本ならではの伝統社会の復古や保守を社会に訴える政党は未だかつてないわけです。たとえば、江戸時代には局部を写した春画も、西洋からバカにされないために、明治の刑法で猥褻物頒布・陳列の罪を作ったために、局部が消えてしまった。その名残が、今のAVのモザイクであるわけです。この明治刑法では、刺青を入れることも禁止しましたから、あの美しい和彫はやくざが文化として守ることになり、やくざの象徴と化したら、今では普通の人で刺青のある人が、温泉に行けないという愚かなことになっているわけです。

伝統政党が作られ、そこそこの勢力になれば、日本のAVからモザイクが消え、春画も復活し、かっこいい和彫の彫り物が溢れる江戸のエッセンスに溢れた社会になるでしょう。平安も面白いですね。LGBTにも西洋型社会よりかはるかに寛容です。性ももっともっと自由になるはずです。あるいは、日本の気候風土に適した着物を着る人が増えたり、モラルは確実にもっともっと良くなるでしょう。また公権力が庇護すべき伝統文化が、西洋的価値観に基づく法のために萎縮する本末転倒なことがなくなります。

例えば、政教分離というフランスでも無理をきたしているものが見直されます。天皇陛下が、古来と変わらず、民や平和のためにされる、日本そのものとも言える宮中祭祀を、国のお金でできます。東大寺や法隆寺なんかのメンテナンスも国家の金でやってやれ、日本の伝統文化そのものを守ることもできます。津々浦々の、朽ちていく古来からの神社仏閣を、権力が民の同意のもと助けてやることもできます。

官公庁が、地鎮祭など、日本の伝統文化に即した儀礼をした際に、政教分離違反などと叩かれることはなくなります。都市の生活になじめないものや、失業者で田舎暮らしに回帰したい人たちを帰農させることができれば、休耕田が再び実り、安全保障の一番の要たる食糧自給率が上がるかもしれません。

日本は近代化以前にこそ面白い点がたくさんあります。どの政党も、日本の伝統と国体の定義や、右派か左派かという思想より、各種団体の既得権益の代弁者としての政治団体になっている現在は残念であり、日本に政治の選択肢が増えて欲しいと願うばかりです。

・逆につかささんへ質問ですが、アメリカではどういう人が左派・右派になるのでしょうか?黒人のトランプ支持というのもいるようですね?世川祐多

フランス在住の歴史学徒に「黄色いベスト」について聞いてみる(パート3)

近藤司より:ユウタさん、マスヤマコム氏と同じく、ブログでの「黄色いベスト運動」のエントリー、非常に興味深く読ませて頂いております。

実は私は昨日までヨーロッパに来たことが一度もなかったのですが、今生まれて初めてイギリスを訪れていて初の欧州訪問となりました(旅のお供であるパートナーは「もうすぐヨーロッパじゃなくなるけどな」とイギリスのEU脱退について悪態を付いていましたが)。ヒースロー空港で乗った車がフランスの自動車メーカー・シトロエンのものでした。

フランスにおける「黄色いベスト運動」が燃料税の引き上げに対する反対として主張されている中、自動車も面白いポジションにやって来たものだなぁと思いました。アメリカ、カナダ、日本も同様ですが、フランスも「車が必要の無い生活」を送れるのは地下鉄やバスといった公共交通網が発達した大都市のみ。車が無くても困らないというのが所得階層の一面を示しているのは自動車が富裕層だけの物だったことを考えるとなんとも時代の流れを感じます。

かと言ってニューヨークやパリのような大都市は家賃や物価が高く住むのも大変ですよね。ユウタさんのブログを読んでパリと言えどもそんな優雅なもんじゃないんだよ!という切実さが伝わってきます。

さて、「黄色いベスト運動」について私からはちょっと本筋からはズレた質問をしたいと思います。アメリカに住んでいた時、ニューヨークから離れるたびに「ニューヨークはアメリカじゃないんだな」という感覚をよく持ったものでした。ニューヨークはアメリカの中でもかなり特殊で、リベラルだし、大企業が集まっているし、人種も多様だし、政治的な感覚としてもアメリカの他の地域とは根本的に違ってるんだ、というものです。

ドナルド・トランプが当選するなんてあり得ない!と選挙中は思っていたのに当選してしまった時もそうですし、一つ横のペンシルバニア州の郊外などに旅行に行くと白人ばかりでアジア人というだけ(が理由に思える)でジロジロと見られたり、ニュージャージー州では45という背番号のついた国旗のデザインの服を着ている人(トランプ大統領は第45代)や「Blue Lives Matter」のシャツを着ている人をたくさん見かけたり。

大都市圏で人々が信じている価値観(それは概ねリベラルだと思うのですが)と国のその他大部分で人々が信じている価値観がズレる、ということが世界的な現象として起きているように思うのですが、もしもユウタさんに何かパリとフランスのその他の地域を比べてパリの特殊性について何か思うことがあればお聞きしたいです。

とこう書いてしまうと普段ユウタさんがブログで書いていることが答えになってるじゃないか、と言われてしまいそうですが「黄色いベスト運動」とからめて何か改めて思うところがあれば。(近藤司

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世川祐多から:

リアクション1: 日本もイオン・フランスもカルフールへドライブイン!

つかささん、フランスの田舎町へ行きます。すると、「買い物いこうぜ」という時に、行くのは町の中心街の商店街ではありません。というか商店街というものを地方都市は別として、田舎、すなわち村で見たことがありません。 車に乗り、カルフールなどの大型スーパーへ行く。日本もそう。地方を走れば、どこを走っても、イオン右折10kmという看板を見る。 中はどこに行っても同じ珈琲屋、映画館。靴屋。服屋。画一化されている。 田舎者のデートはイオンモールですよ。

田舎の村人の生活スタイルは、日本でもフランスでも、どこへ行っても、同じような商業施設で、 品物の地方差はあれど、同じような購買活動をする。そして、これを支えているのが車であることは、言わずもがな。車なくして田舎の生活は成り立たないというのが、21世紀の列強の田舎者の生活と言えます。

しかし、車を考えてみた時に、日本の面白いところは、排気量が少ないから燃費も良く、税金も安く上がる軽自動車というものがある。日本人の方が、所得がいいし、物価がまだ安いから、田 舎の暮らしはフランスに比べて苦しくないでしょうが、軽自動車はそれを一層助けます。フランスでは、ただでさえ仕事がないし、平均所得が低く、それでいて軽自動車がない。 ドライブイン無くして、生活が成り立たなくなってしまった田舎の社会では、ガソリンの値上がり は日本以上に死活問題です。

馬に乗る社会を取り戻し、中心街に個人商店が栄え、もう一度、人間らしい地方の生活を戻すよ りほかなくなるのでしょうか。 それか、おそらく、これは反発を食らうでしょうが、日本が軽自動車をブランディングして輸出しまくるか。アメリカには合わなくてもフランスの地方の生活にはフィットするはずです。

Q1.:フランスあるいは欧州他国の田舎におけるジロジロ経験

A: アメリカとフランス、全く同じです。日本もそうでしょう。あるベルギー人の親友が、高校生で日本の北陸の田舎町へ留学した際、町中は白人が来たことに大騒ぎ になり、そこらの在所では知らない人はいないぐらいになり、常に目立ってしまったそうです。 受け入れてもらえたからいいものの、とにかく目立った。ということです。

フランスも面白いのが、今私が住む、パリの近郊都市フォンテーヌブローでもそうですが、ブルジョ ワな街は白人ばかり。あるいは、田舎の村はさらに白人しかいません。それでもまだちらほらい るアラブ人や黒人に比べ、アジア人は一層少ないものです。いたとして、なぜかどこにでもある中 華屋を経営する、中国人ぐらいのものです。 アジア人は田舎ではことさら目立つし、日本人は、さらにさらに目立ちます。ジロジロジロジロ みられます。

ただ大都市近郊では、アジア人が行かない方がいい地区や、スーツとかのホワイトカラーな服装 では行ってはいけない地区があります。 郊外の黒人街やアラブ人街に行ってしまうと、それ以外の人種は受け入れてもらえないので、危 険な思いをすることがあるのです。ボービニーという黒人系の治安の悪いパリの郊外に、かつてフランスの白人の友人がすんでいて、 一度研究発表の後に、スーツを着て行ってしまいました。 スーツを着ているということで、すでに場違いで、更にアジア人ということで、たむろしている人 たちから、Fuck Youのポーズをされて罵られたこともありました。
白人地域ではまだ、敵意をむき出しにされたり、威嚇はされません。 そして、こちらが、慇懃に振る舞えば、実に、優しくしてくれます。敵じゃないとわかり、溶け込 む姿勢をみせれば、通常受け入れてくれます。

それでも日本人は世界ではまだまだ珍しい人のようです。かつて、イタリアの田舎町にいた時、僕が歩いていると、真後ろからイタリアの女の子たちが、「あれ中国人かしら?」と聞こえる声で噂していて笑いましたが、日本人とは、「世界のこんなとこ ろに日本人」という番組が成立してしまうぐらい、大都市以外普通は見かけない存在なので、珍 民族のひとつかもしれません。一見服装や物腰がなんか違う中国人とみられるようです。

Q2:ニューヨークはアメリカじゃない!じゃあパリは?

A:「パリはフランスじゃない!」とフランス人がよくいいます。勉学か仕事という必要に迫られてパリにいるだけのフランス人や、パリ人以外のフランス人、そし て、ヨーロッパ人と接すると、パリやパリの人々が嫌いという人にたくさん出会います。偉そう、冷たい、礼儀正しくない、汚い、物価が高いなどの理由です。 確かにフォンテーヌブローでさえ、だいたい皆礼儀正しく、カフェの給仕さんも丁寧です。 パリは丁寧な客あしらいは、超高級な店を除けば、なかなか出会わず、出会ったらラッキーなぐ らいです。 せかせかしていて、つっけんどん、みんなストレスを溜めている。これがパリの典型的な人々なの です。

私の生徒たちもほとんどが「パリ嫌い」と言っています。人の温かみに欠け、住みにくいのです。
もちろん、お金がある人は、ゆとりのある暮らしができるでしょうし、高級店にしか行かず、振る 舞い方も違いますが、それでも、この人たちが成金の場合は鼻につくスノッブの振る舞いがあり、 本当の気品の持ち主なのか、そうでない成り上がりなのかは簡単に見分けがつきます。私もパリに嫌気がさして、また、自分でなんとか生活を成立させるために、パリから出ようと決 めた時に、南仏出のジャズ仲間が、パリだけがフランスじゃないから出て正解だと言ってくれまし た。私もそう思ってます。彼の友達も、パリに嫌気がさしてボルドーへ家族で移住するとのこと です。

このように、観光地としてのパリと、住むパリでは全く様相が違います。また、フランスでは、パリでさえ、そうはそうそう繁華街がなく、数年いれば行く場所が決まっ てしまうぐらいです。なので、ニースやマルセイユといった大都市では、規模としては大宮のよう な日本の首都圏近郊のような小都市であり、コンサートなどのイベントも少なければ、バーや映 画館など行く場所が決まってしまいます。浮気はできません。 誰かと付き合うと、すぐにだれか友達とすれ違って、噂になるといいますが、それは本当だと思 います。パリでさえその可能性はあります。

パリのいいところは、それでも文化の発信地としてイベントやコンサートがは毎日どこかしらであ るということです。フォンテーヌブローにはジャズバーがないので、僕はこの点のみパリが恋しく なります。(世川祐多

 

 

フランス在住の歴史学徒に「黄色いベスト」について聞いてみる(パート2)

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世川祐多から
リアクション2. 「私はヨーロッパ人」と自覚するビジネスマン

資本家やビジネスマンというのは、発想がグローバルであり、ボーダーレスな存在です。資本主義ですから、資本があるところに、どこへでも飛んでいき、国家を超越した思考をする。

例えば、楽天がいまはフランスにもありアメリカにもあるということは、楽天は世界企業であり、世界企業たるためには、全てを合理化する。日本語だけでは世界で合理的に渡り合えないから、英語を公用語にする。そして、ボーダーレスに世界中の企業を買収し、世界のRakutenになる。資本家として三木谷さんは超一流だと思います。

こういう人からすると、円だのドルだの決済貨幣が違うこと自体非合理的でしょうし、場合によっては国境も邪魔かもしれません。もともと、EUは、誰もがご承知のとおり、元はと言えば、欧州一丸となりソビエト反共のために、経済を統合して、少しでもヨーロッパが共産に汚染されないために作られた訳です。

そして、一つのヨーロッパ構想は、アメリカなどの大国の経済に対する一つの対抗軸として、彼らの汎ヨーロッパ主義を目覚めさせましたが、こういうビジネスマンや経済家などのヨーロッパ人として一つの強靭なヨーロッパ経済を築き、世界の大きな一極として回していく、ネオリベラリズムでボーダーレスな発想とは裏腹に、圧倒的多数の普通の人たちのナショナルな性格は崩せなかったということだと理解しております。

さらには、EUはもともと超国家的と言われていましたが、そのEUという仕組み自体が国家的でけしからんとアナーキーな人や極左がその欺瞞をついてきたと言うことで、EUもある意味本当の意味でのボーダーレスのネオリベラリズムなシステムとはいかなかった訳です。

Q1:フランス語のメディアやコメントで(ユウタくんが見る限りで)、これを「階級闘争」と明確に位置づけている動きはありますか?

A:パリ第七大学には、革命思想の教授陣がいて、この社会情勢の不安の中で、民衆による革命を呼び起こしたい人たちがいます。この12月には、フランス革命の映画数本が大学で上映され、映画監督と対話する集会が企図されました。

日本の歴史学者にも多いですが、革命思想を持つ研究者というのは、フランスにもいます。彼らにとっての憧れは、民衆の蜂起が貴族や特権階級を倒したという点にあります。彼らからしたら、これはエリート権力者という特権階級に対する、民衆階級の闘争という構図でしかありません。フランスの黄色いベストの職工も階級闘争をしているという意識でしょう。

そして、奇しくも、フランスと日本の1968年の学生紛争から50年が経過した今に、また大規模なデモがあったということで、極左の人たちが怪気炎を上げているのも事実です。ただし、現在ではフランス革命を後悔する反対派もたくさんフランスにはおります。

フランス革命の裏側で忘れてはならないのは、一万人以上の反対派が、それだけでギロチンされたというジェノサイドの事実、そして貴族を表面から消し去り全ての宗教を否定したら、街はゴミで溢れ、モラルを失いこのざまだという声もたくさんあります

フランスには絶対王政ではなく、立憲君主制としての王政復古を求める声も多く、残念ながら、すぐ暴力に訴えて、革命の名の下に、破壊したり間違えば殺戮をするような階級ではなく、伝統を重んじ、品位あるフランス王国の回帰を求める声も、田舎の百姓家とか、元貴族とか、カトリックとかブルジョワの中に多いのです。マクロンやトランプが国家の顔ってどうよということなのでして、これを恥じている人々も多いという訳です。

Q2:マクロンが辞めざるを得ないような状況はあり得るんでしょうか?

A.あり得ます。

マクロンは譲歩に譲歩を重ね、増税政策を完全撤回しましたから、当初の黄色いベスト運動の目的はすでに達成されました。しかし、クリスマス寸前だというのに、今週末も地方で道路を封鎖したり、パリでも規模は減ったとはいえ、過激なデモが続いております。彼らはやめないと言い張ります。それは、マクロンが彼らをなだめるために提示した条件が、中途半端すぎて、逆に火に油を注いだからです。

100ユーロ月額の最低賃金を上げるとしましたが、みんな「100ユーロごときで何になるんだ?逆に一人一人に100ユーロずつ企業が給料を上げたら、雇用できる数が逆に減るだろ馬鹿か?」と言っているのです。

貧困から抜け出す抜本的な改革を労働者は求めていますが、そういうことではなく、逆に雇用を脅かしかねない、逃げの一手でなだめようとしたので、今や、「Macron Démission ! マクロンやめろ!」という運動へと変質した訳です。

大統領の権威はすでに失墜して、これからさき政治判断をしていくことは不可能で、レームダック化した大統領ですが、議院内閣制の総理大臣とは違い、政権の座に居座ることは可能です。しかし、他の政党は攻撃の手を緩めませんし、このままデモが緩やかであれ続くとすれば、政権を降りざるを得なくなるかもしれません。

あとは、少数といえども一部民衆が、突き上げれば大統領の増税とかそういう政策を撤回させられるという味をしめているというのもキーかもしれません。

Q3:フランスの格差・不平等感と日本の決定的な違い

A.ジニ係数で格差を測っても、大金持ちと、低所得者層の割合が加味されていないから、ブルーカラーホワイトカラー問わず、実際の、「大多数の庶民階級」とか、「庶民の暮らしぶり」や「底辺のくらし」が反映されない問題があると感じます。

まず日本を考えます。日本なら、保障は弱いですが、働く気があれば、何をするかにもよりますが、アルバイトを掛け持ちして、月収手取り20万は可能だと思います。ガテン系の給料も悪くありません。また、物価といっても、吉野家とか、惣菜のおつとめ品とか、安くあげようと思えば、相当食費を抑えられますし、郊外もだいたい安全で、東京都内でも家賃が数万円のアパートもありますから、まだ生活が可能です。

おじいちゃんだとしても、警備員や、タクシーの運転手という職がありますから、底辺といっても、底が高い訳です。カップルで非正規雇用だとしても、力合わせて月収30万や40万行けば、それなりの暮らしができるはずですし、フランスに比すると、このカップルの所得は、高収入な旦那と専業主婦という家庭と等しくなるという逆説を持っています。

フランスの問題はアルバイトが全くないというような社会構造です。通常、労働者と雇用者の契約が強いので、たとえスーパーのレジで働くとしても、期限付きの契約社員(CDD)として働くことになります。

これは通常週35時間のフルタイム扱いですから、掛け持ちしてあれこれバイトするというわけにはいきません。これでいて、最低賃金が13万、マクドナルドが1000円以上するような物価高の中で、家賃と食費を出費しながら、どのように暮らせというのでしょうか?

また、平均月収が25万程度ですから、物価高の中で、平均してみんなエンゲル係数が超絶に高い貧困層なのだということです。私も含めて。

フランス人のライフスタイルとして服を持たないということがしきりに日本で言われていますが、裏を返せば国民のほとんどが貧乏であるフランスでは、都市部では家も狭く、たとえ地方の一軒家だとしても、エンゲル係数が高いのに、服をしこたま持っていることなどできません。他方大金持ちは、着飾ることが可能です。

指標として、知るべきはサラリーをもらう被雇用者の給与のバランスだと思います。2017年の統計ですと59%が手取り2000ユーロ・23万以下、月収8300ユーロ・90万は1%、4000ユーロ・43万は8%、月収3000ユーロ・33万は17%です。80%の被雇用者が手取り30万いかないぐらいの国です。2006年次のものですが、ほぼ変わらない、いいグラフを見つけました(下図)。

国民の被雇用者の8割が年収300万以下、そして、賃金が年功序列で上がるようなことはない。これに、9%の失業者が加わる社会をご想像ください。(世川祐多

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フランス在住の歴史学徒に「黄色いベスト」について聞いてみる(パート1)

マスヤマ:ユウタくん、ブログの連載「黄色いベスト運動」を、とても興味深く読んでいます。まだ続いている最中ですが、せっかくこの「とりま。」という場もあるので、いくつかコメントと質問です。

私は、たまたまこの数年、パリに何度か行っているし、フランス語はできないけれどフランス人の知り合いも少しは居るので「シャンゼリゼが燃えている」や「スタバがメチャクチャに壊されている」映像を見ても、ほとんどびっくりしません。とはいえ、ユウタくんの学生に近い人が爆発物で片手を失うという話は衝撃だし、東京の安全さにあらためて感謝したくもなります。

一方、長い目で思い出すと、2002年にユーロの現金が導入されたとき、直感的に「これ無理!」と思いました。私が最初にヨーロッパに行ったのは、なんと1972年という昔で、その頃に見たギリシャやイタリアなどが、ものすごく(良くも悪くも)前近代的なことを知っていたからです。あんな国の田舎のお婆ちゃんたちが、国が決めたからといってすぐにユーロを使うようになる、というイメージがまったくわきませんでした。

しかし、政治と経済の力は強く、その後はそれなりに安定した「ユーロ圏」ができつつあるように見えていました。10年くらい前ですが、ヨーロッパの空港でたまたま近くに居たので話していた(欧米で、そういうことはよくある)ビジネスマンと国籍の話になり「私はヨーロッパ人です、以上」的な答えが返ってきて印象に残っています。

さらにしかし、(歴史学徒にはシャカにセッポウですが)歴史には「揺れ戻し」がありますよね。黄色いベストに限らず、ここ数年のユーロ(EU)圏の状況は、ヨーロッパが今でも、何百年も続いた血なまぐさい戦いの歴史を生きているんだな、と嘆息したくなるほどに見えます。

さて、質問です。
・フランス語のメディアやコメントで(ユウタくんが見る限りで)、これを「階級闘争」と明確に位置づけている動きはありますか?

・マクロンが辞めざるを得ないような状況はあり得るんでしょうか?

ジニ係数を見る限り、フランスは急激に「格差や不平等」が広がっているようには見えないし、EU圏の中で突出して高い、ということも無さそうです。それはそれとして「格差や不平等」への不満が溜まっていて、燃料税の値上げで爆発した、ということでしょうか。そんなに単純化できる話では無いとも思いますが

とりあえず、ここまです。(マスヤマ)
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世川祐多から
リアクション1. 体感するユーロ・体感する非現代社会としての欧州

引用「長い目で思い出すと、2002年にユーロの現金が導入されたとき、直感的に「これ無理!」と思いました。私が最初にヨーロッパに行ったのは、なんと1972年という昔で、その頃に見たギリシャやイタリアなどが、ものすごく(良くも悪くも)前近代的なことを知っていたからです。あんな国の田舎のお婆ちゃんたちが、国が決めたからといってすぐにユーロを使うようになる、というイメージがまったくわきませんでした。(マスヤマ)」

これは、人間の感覚の問題と、ヨーロッパの社会構造の変わらなさが端的に表されていると思いました。まず、経験するか否かということが、現実の状況をより実感できるか否かに大きく関わるというクリティカルなご指摘です。

たとえば、私の祖父母は東京大空襲を体験しており、私は孫でこそあれ、体験していない。すると、東京の住まいの両国には慰霊堂もありますし、空襲のドラマとか写真を見ていますが、おぞましいこととは思えても、究極には体感していないから、僕には感覚として空襲下を逃げ惑うのがどんなに怖かったかわからないのです。

マスヤマさんが、半世紀近く前の欧州を実際に歩いて、目で見て、現地の金を使ってという体験の中で、今のユーロという統合通貨を感覚的かつ現実的に知っていることは、僕の感覚より遙かに深い洞察と分析をもたらします。その感覚「これ無理!」は正しかったわけです。

もっとも、こっちの人たちも、「ヨーロッパの統合、経済的にも強い一つのヨーロッパのため」と信じて、辛い物価高の中で、「ユーロはそれでもいいことだ」というように思い込もうとしてきましたが、もうそれは無理だというところに差し掛かったのだと感じています。

また、私と同じ30歳前後の人は、10歳ぐらいまで通貨はフランでしたから、物価が安かった時代をなんとなく知っています。私も子供の頃、ちょっとタバコ買ってきてと、カートン買いさせられてましたから、3,000円ぐらいもらって、残りはお駄賃になっていたのに、最近日本でタバコを買うと倍はするので、いかにタバコが値上がりしたか痛感できるのです。

フラン時代を本格的に知っている中年層以上になれば、「フランだった昔はよかったのに!」という思いを購買のたびに常に感じながら生活しているのです。そういう人たちがよく例えるのは、みんな「昔はクロワッサンが、カフェオレが…」というものです。この点、すでにフランスに行った時にユーロであった僕の感覚の乏しさとは大きく違います。

このクロワッサンの値段を回顧するノスタルジックなサイトを見つけました。80年代には、2フラン40円ぐらいだったクロワッサンは、いまや、1ユーロ弱、120円するわけです。パリではもっと高い。常食であるパンがこんな按配ですから、飲み物、外食となると、途轍もない物価高となっており、消費できない社会となったことは明白です。

大学の近所のチェーンパン屋でさえ、ちょっとサンドイッチを買って、飲み物つけると1,000円です。普通の学生はだれも買っていません。パリでカフェに入った人なら、昼飯で1人軽く25ユーロ・3,000円ぐらいは行ってしまうことをお分りいただけるでしょう。日本では1,000ベロもありますし、3,000円あれば、十二分に居酒屋で酒肴を食べられます。

人々の感覚こそが、実際の数字で測る景気にまして、人々の思考や、政治への欲求につながっていくものだと思います。また、ヨーロッパが構造として前近代的というか非現代的というのは、日本人なら観光客でもわかると思います。

パリのメトロはほとんどが、作った当時のままで、エスカレーターもなく、車両はいつまでも古いし、その小ささをして、現代の人口増加にすら耐えられません。それでいて郊外まで路線を延長するから、小さい車体で、ただでさえ短い編成のメトロが常時満員電車となってしまうように、昔のものに、継ぎ足し継ぎ足しでやっていく欧州のものづくりへの姿勢は、現代の必要を満たせません。

さらには、この社会構造の現代化のスピードも、西欧と東欧などでは異なってきます。例えば、産業がフランスよりもさらに遅れているチェコは、旧式の車や、いかにもな共産の街並みが残るし、そもそも、EUなのにユーロではありません。社会整備費が国家財政に追いつかず、ユーロへの移行がサスペンドされているわけです。ですから、ユーロなり円を両替した後は、物価は安いし、為替はいいし、一時的に金持ち感覚に陥ります。

旅行者にとっては、確かに、小国乱立の欧州にあって、単一通貨でしかも、飛行機は国内線として、国境はなし、というものは楽ですが、欧州の各国は一つの欧州なのに生活レベルが違うので、生活者の目線では、楽ではありません。逆説的に、フランスでよく言われる笑ってしまう話があります。

「スイスで働いてフランスで住む」

教員の間でもそうです。フランスは公務員の給料はよくないので、教員といっても貧乏です。しかし、勝ち組は、スイスの大学に就職する訳です。スイスの平均月給は、2014年で4,000スイスフラン=3,270 euros=37万ぐらい。フランスの倍。

物価は高いですが、給料もいいということで、スイスで働いてフランスで暮らすというのは、憧れな訳です。スイスはEUに加盟しようとしたこともありましたが、結局長期的に見て利がないと判断しやめました。イギリスは入ってみてやめることにしました。

この両国は、グローバル化で亡国になることを知っており、大きな流れに巻かれない、国家の独立自尊を知り、結果国民の生活を守るということで、立派だと個人的には評価しております。イギリスはEUでも、ユーロにしませんでしたし、ユーロでない国が、強くなるために単一通貨にしたユーロに勝つと言うことは、本末転倒なことでありました。(世川祐多

音楽は「訛り」を楽しむものである。

Text by Masu Masuyama 文・写真:マスヤマコム

音楽ストリーミングサービスSpotiyで、2018年にもっとも聴かれたアーティスト(個人)のうち、4人がラッパーであり、2人は中南米出身でいわゆるラテン的なリズムの曲がヘビロテされたことになる。同時代のポップ・ミュージックに少しでも興味がある人なら、アーティスト名や曲名は知らなくても、この辺の曲は耳にしているだろう。

事前に強調しておくが、ここで書く「訛り」というのは「正しい発音やイントネーション」がどこかにあって、それに対する「正統的でない発音やイントネーション」という意味ではない。音階が「ヨーロッパ古典音楽」で使われてきた「ドレミファソラシド(など)」が正しくて、ジャズやブルースで使われる音階が正しくない、というわけではないように、だ。むしろ、ジャズやブルースは、「ドレミファソラシド(など)」ではない音階を楽しむ音楽、という言い方さえできるかもしれない。それを「訛り」を楽しむ、と言い換えてみたらどうだろう?

初期のYMOは、それまで人間の演奏による「グルーヴ感」や「ノリ」を追求してきた手練れのミュージシャンが、コンピュータ(シークエンサー)に音楽を演奏させることで「グルーヴのないリズム」のおもしろさに目覚め、それを追求していたという。もちろん、彼らはアーティストでもあるので、その「グルーヴのないリズム」がわかってしまうと、次には「機械・数値的な計算でグルーヴを作り出す」というメタレベルな音楽制作に入っていった。これを、計算で「訛り」を作り出す、としてみたらどうだろう?

20世紀のポップ・ミュージックは、言うまでもなくアフリカン・アメリカンが持っている「ヨーロッパ古典的ではない」ビート感や音階感に依拠している。冒頭のSpotifyランキングでも、人種や国籍を問わず、アフリカン・アメリカン的なビート感の楽曲が大ヒットしているのがわかる。中でもラップは「訛り」そのものを楽しむ度合いが高いのではないか?

Spotiyのランキングに戻ろう。もうひとつの特徴「ラテン」だが、エド・シーランジャスティン・ビーバーも「ラテン」的なビート感の大ヒット曲をもっている(ビーバーの楽曲は2015年)。そしてこれは、定量的なデータではなく、年に数ヶ月は海外に居る私の極私的感触だが、世界じゅうで、ある程度自由にポップ・ミュージックが聴ける文化圏において(日本を除く!)は、「ラテンとラップがかかりまくっている」というのが率直な印象だ。ロックの8ビートからすれば、どちらも「訛っている」と言えなくもない

「訛りを楽しむ」のは、もちろん、音楽だけではない。日本で「お笑い」といえば「関西弁」が大きな勢力だし、方言をうまく使って人気が出るタレントも少なくない。もう5年以上前の話になるが、朝ドラの『あまちゃん』では岩手の方言が、確実に魅力にひとつになっていた。手前味噌だが、私が製作代表の一人に入っているアニメ映画『この世界の片隅に』も、(パフュームのライブでのトークも!)広島弁が楽しい。

ラップ、ラテン、そしてK-pop(さらに言えば数年前の”PPAP”)。ローカルな特徴(訛り?!)を持った音楽が、グローバルに大ヒットする。この傾向は、当分続くに違いない。

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本文ここまで、です。ツカサくん筆の『訛り』から思いついて、ちょっと転がしてみました。「そんなこと、とっくに知ってるよ!」という方も居るかもしれませんが、訛り感の強い楽曲と、訛り感の少ないEDM。ポップ・ミュージックの世界では、その両極の人気がはっきりしているように思います。

訛り

Text by Tsukasa Kondo    文:近藤 司

パートナーの仕事の都合で、この10月からカナダはトロントで生活しています。カナダのニュースを聴いているとよく耳に入ってくるのが「国境の南では(south of the border)」という表現です。これはもちろんアメリカのことを指しているのですが、ニューヨークに住んでいた時にはほぼ全く聴くことの無い表現でした。もちろん、アメリカでも南カリフォルニアやテキサスまで行けば「国境の南」という表現が乾いた風に乗って聴こえてくるのでしょう。その場合はもちろん、メキシコを指すわけです。

トロントはまさに国境に面した大都市で、目の前に広がる湖の向こう側はすぐにアメリカです。ナイアガラの方に行くと短い橋でいくつもアメリカとカナダがつながっています。先日、アメリカから送ってきた家具を国境で受け取りに出向いた時には気をつけて運転していたつもりでもうっかり、間違って国境を越えてしまうというトラブルに合いました。それも二度も。二度目は国境の検査官にこっぴどく怒られてしまいました。国境を越えるつもりがなかったのでパートナーはビザを携帯していなかったのです。

「オマカセ・フォー・キッズ」の日本語字幕をつけていると、頻繁に「国境のこちら側/あちら側」というコンセプトについて考えます。マスヤマ氏がこちらのエントリーで紹介していますが、「オマカセ・フォー・キッズ」は本格的な日本食を食べたことが無い海外の子どもたちに、和食のフルコースを振る舞い、彼らの正直なリアクションを撮影するというドキュメンタリー(未公開)です。

日本で生まれ育った我々からすると思い描くだけで胸がほっこりと温かくなるような、味噌汁や茶碗蒸しといった料理も、ニューヨーク、スペイン、フランスの子どもたちは「まずい!」と一蹴してしまうこともあるわけです。

料理や音楽など「国境を越える」と言われているものはたくさんありますが、それでもそれぞれの個人の体験や人生から独立して料理や音楽の良さが存在しているわけではないのだな、と思わされます。

アメリカからカナダに渡ってきた私からすると、カナダ訛りはやはり印象に残ります。寒い地方の訛りらしく、口をあまり開かずにモゴモゴと話す様子は「うーんいかにも訛りっぽいな」と思ってしまいそうになりますが、カナダ人からするとアメリカ英語の方が大げさな訛りに聴こえるわけですね。仕事でSarahという名前の女性に会ったのですが、私が彼女の名前を呼ぶと「私がニューヨーカーだったらそんな名前だったかもね」と言われてしまいました。料理も同じなのかもしれません。私なら全て「美味しい美味しい」とたいらげてしまうだろう和食のフルコースを、子どもたちが「これは食べられる」「これは美味しくない」と評価していく様子はなかなか見ていて解放的です。

と同時に、「お前たちも大人になったら大金を払って和食のフルコースを食べたくなるのだぞ、ウヒヒヒ」と意地汚い気持ちにもなります。子どもから大人になるにつれて味覚が変化する科学的な仕組みは私もよく分かりませんが、参加した子どもたちが数年後に自分の出演しているビデオを見た時にどう思うかは非常に興味があります。寿司に手すら付けない様子に憤りを覚えるのでは…というのは日本人の大人である私の希望的な(そして性格の悪い)予想です。

しかし食に限らず、自分が嫌いだったもの、無関心だったものが好きになる瞬間というのがあります。クラシック音楽に興味がなかった人が、一曲だけ好きな曲を見つける、そこから少しずつ自分が好きだと思う作曲家を見つけ始める。日本食は嫌いだと思っていたイタリア人がイタリア料理と似た和食メニューをきっかけに日本食の中でも好きなものを見つけ始める。こういった変化こそが人生を豊かにしていくのだと思うのですが、なかなか日常でこれを見つけることは難しい。「ほらこういう具合に比べてみると、こっちの方が良いでしょう」と自分の中に存在していたセンスを掘り出して見つけてくれるような人生の先生を見つけたら、その先生は離さない方が良いでしょう。

自分の周りの中に思わず見つけた興味の対象を、追求し始めて気付いてみたら国境の逆側に来ていた。ああ、そういえば昔の自分はこちら側の言葉を「訛り」だなんて呼んでいたな、と驚いてしまう。そんな事が、たくさん皆さんにも起きますように!

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本文はここまでですが、埋め込んだビデオはイタリア人作曲家であるAdriano Celentanoが1972年に発表したもの。アメリカのロック音楽がイタリア人である彼の耳にどう聴こえるかを模したものです。そうです、ここで歌われている言葉は全くのでっち上げ。「アメリカ人の歌っぽいもの」を作っているんですね。確かにボブ・ディランを思わせる歌い節です。

これを見ていると3歳の甥っ子が大人の話し方を真似ている様子を思い出します。「ごにょごのみゃみゃでしょー!」「だだだねらねらなのー!」とメロディと語尾(「でしょ!」や「なのー!」)だけを真似て意味の無いでっちあげ言語をずっと話しているのです。しかしいずれ彼ももっと多くの言葉を理解し話すようになると、このでっちあげ言語側の住人になるのです。そうか子どもは常にたくさんの“国境”を越えているのだな、と思う次第です。