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フランスナイズ Oui ou Non !? ~郷に入れば郷に従いながらも、残したい日本人性~

Text by Segawa Yuta    文:世川 祐多

大阪の人は明るくて、すぐボケに乗ってくれるというように、みんながみんなという訳はなくとも、国民性、県民性といったある一定のエリアの人たちのなんとなく共通する性質というものがある。これは科学では立証しづらい概念でもある。

でも、たとえば、車が全く来ない車道でさえ、横断せずにモラルを優先するのが、日本人ならば、車が来ないなら渡るべしという合理性を優先するのがフランス人。これを国民性と言わずしてなんと言おう。

たしかに、こちらに住むと、信号無視を平気でしてしまう体になる。逆に、車が来ない赤信号を渡らずに律儀に待っている方が杓子定規でおかしい気さえしてくる。

この件に関しては、自分自身「別にまあ、人に迷惑かけてる訳じゃないし、フランスだからいいんじゃん」と思っているが、他方「こうはなりたくないし、日本人の一人としても、フランスナイズしないでおこう」という所作がある。

この最たるものは、電車や、バスで絶対に並ばないフランス人の習性である。

パリでは特に、メトロのドアが開いた途端に、降りる人を待たずに人がなだれ込んでくる。降りる人をドアのサイドによけて通り道を作ってやることなどない。

であるから、否応なしに人を押しのけざるを得ない状況になることが多い。

メトロにも日本のように乗車位置などは、マーキングされていないし、後から来た人間たちが先にホームにいた人に憚ることなく、どんどん乗車していく。

これは、地方でもバスに乗るときなどに、バスが来るやいなや、随分前から待っていた人がいて、年寄りもいるのに、それに構わず、人々がじゃんじゃんバスに乗車していくのが常だから、現代フランス人は人品において、残念な人が多いのだと思う。

この点に関しては、フランス人は、並ばないことで有名で、彼らが蔑視する中国人を非難することはできない。極めて卑しきフランス人の習性と言える。

日本社会も多々問題はあれど、例えて、記憶に新しい、東日本大震災における、秩序乱れぬ人々に対する世界中の驚きと賞賛は、日本人が秩序を重視するという国民性なのだということを再確認させてくれた。

こちらに住めば、フランス人は天変地異や戦が起きれば、人様のために、秩序のためにという心より、自分が助かり、自分が安全であればと、エゴに走るに違いないと気づかされる。

故に、日本人にとっては秩序を乱さないというごくあたりまえのことを、やたらめったら世界の国々が称揚し珍しがるのも宜なるかなと思う。

他方、フランス人のまだマシなところは、日本に観光などで来た時に、そこは日本の文化や秩序を尊重して、並んだり、おとなしくできるところにある。

きっと、本当は並ぼうと思えばできないわけではなく、やればできる子フランス人であるとは、思っている。救いようのないバカとまではいかない。

逆に日本人が海外に住むとなれば、郷の文化に溶け込み、郷の習俗にある程度従いつつも、日本人としての美徳は失うべきではないと考えている。

僕は、バカもたくさんやる。

しかし、一日本人としての自負と矜持があり、たとえフランスに住んでいようとも、30秒も車が来ない赤信号を無視するというような人様に迷惑をかけないルール違反はしたとしても、やはり所作には気をつけ、割り込んだりするという、卑賤の振る舞いに関しては決してフランスナイズされず、日本にいるときのままにありたいと思うのである。

マスヤマコムロスバゲシーンの妄想

日本では普通起こり得ないし、万一起こっても、お詫びの金品とともに、丁重にケアがあるはずであるロスバゲ。しかし、現代ヨーロッパ人の性質といえば、まず、係員は「私のせいじゃない」
と言葉と態度で突っ張ってくるはずである。であるから、こちらもそれ相応に構えて対応しなくてはならない。

日本人にも鬼畜クレーマーなど変なのはいるが、通常欧州にて、被害者が非日本人の場合、こういう時、わめき散らしたり、怒鳴り散らす光景を目にすることは多い。

また係員は、こういう問題対応にあたっては、怒鳴られるのが常だし、係員的職業は人類平等を建前とする欧州世界にあって、実際社会的地位も低いから舐められているので彼らも突っ張るし、という悪のスパイラルである。

これに我ら日本人が巻き込まれた時はどうなるのだろうか。

私はマスヤマコムを知っているが、マスヤマコムもまた、うんざりするような、ロスバケ初体験に遭遇された時、ギャーギャーわめき散らしたりする人ではないし、係員に喰ってかかったりしていないことは容易に想像できる。

九鬼周造先生のおっしゃる典型的日本人の観念「諦め」
を発動させて、諦めていたロスト中のバゲージが謎の出現を見せたところで、ラッキーと喜んでいたに違いない。

確かにロスバゲの被害など、不都合の極地であるが、日本人の所作の美は、こういうことが起きたときに、騒いでも何にもならないんだから、その運命を諦めて受け入れ、スマートに係員に対して交渉することであり、これははっきり言って世界中の人を見渡してみても、日本人ぐらいにしかできないと思っている。

コンドウツカサの久しぶりの日本上陸シーンの妄想

僕もさしてフランス語が上手くないのに、たまに日本語が出づらくなることがある。

これはフランスに居すぎて、ちらほらフランス語で、頭が考え出したという証でもある。

日本に帰れば、簡単な単語を失念してルー大柴になりかけたり、赤信号を無視しようとしたり、特に、左側通行にすぐに順応できず、横断歩道では右に首を向けて車が来ないか確認しなきゃいけないのに、左に首が動いたりおかしなことになる。

きっとコンドウ氏も日本語を話していて、言葉の合間にYou knowとか入れたくなってるのではないかと妄想する。

しかし、コンドウ氏の文を読めば彼がアメリカ風を吹かそうとしている訳ではないことに気づく。

ここはおフランスに長年おわします世川大先生が仰せのこととして受け取っていただきたいのですが、アメリカ帰りの人間が日本でどういう振る舞いをするかはしりませぬが、おふらんすの日本人が日本に帰った時に、おフランスの風を意図的に吹かそうとして、日本人を見下し、カッコつけ高飛車になるという現象が多くございます。

「きゃー、おフランスすてき!」「おパリ帰り!」みたいな、日本人の妙なフランスへの憧れが、フランス風を吹かす嫌味な人間の存在の余地を許しているわけでございましょうが、これはいかがなものかと存じます。

海外に居すぎて、その郷に上手く溶け込めたために、日本に帰った際に、条件反射的に体が動いてしまっている海外帰りの人なのか、それとも、海外に居た割には何もできないまま、コンプレックスの裏返しのように、日本で私は洋行帰りなのよの風を吹かす奴なのか、日本の皆様にぜひ香道のように嗅ぎ分けていただきたく存じます。

ハグを知った身体はもう元には戻れない

Text by Tsukasa Kondo    文:近藤 司

空港でスーツケースを預ける時の自分と、目的地でスーツケースをピックアップする時の自分は、違う自分。そんな感覚が私にはあります。自分が生まれ育った国を離れて生活していると、どうしても違う言語、違うルール、を身につける必要があります。日本とアメリカの場合、似ている側面もあれば、違うところはとことん違う。どちらの国の常識も脳みそから指先まで、マッスルメモリーのように染み込んでいるけれど、同時に使うことが無いので自分の中に問題無く共存しているわけです。

ニューヨークJFK空港では英語でカウンターの職員と会話をし、スーツケースを渡し、飛行機の中でグラグラ揺られ、たまに日本語が話せるキャビン・アテンダントと会話をしながら少しずつ身体の中の「日本常識マッスルメモリー」がむくむくと力を取り戻してくる。日本に到着してスーツケースを取り上げる時にはもう、完全に日本ルールで街を闊歩できる自分を取り戻します。

常識マッスルメモリー切り替え失敗

1年前に、実に7年ぶりに日本に一時帰国をした時はこの「常識マッスルメモリー」の切り替えを上手くできずに、まるで外国人観光客のようにズレた行動を連発してしまいました。他人でも目が合うとニコっと微笑を作る。レストランやスーパーの店員に挨拶をする。レジの横のお金を入れるトレーを無視して、店員に現金を押し付け続ける。小さな歩道で車が通っていない時に身体が信号無視をしたくてウズウズする(ニューヨークでは警察官も歩道の信号無視をします)。リュックのチャックが空いている人がいると呼び止めて教えてしまう。電車の駆け込み乗車はもちろん、眼の前で閉じそうになる電車のドアを手で抑えたくなる衝動に襲われる。などです。挙げればキリがありません。

中でも抵抗するのが難しい「アメリカ常識マッスルメモリー」がハグや握手です。日本に帰って高校や大学の友人と久しぶりに会って「おぉー!」と興奮するとつい考える前に身体が両手を広げてハグをしようと自動運転を開始するわけです。「違う違う、この人とはハグはしないんだった」と脳みそが身体を制止する必要があります。と、こんなことを書くと「アメリカかぶれがイキがってるな」と言われそうですが、実はこの現象、ただ何かにかぶれる/かぶれないということでなく、文化や言語が私達の思考や自由意志(大きく出た!)に与える影響に関して非常に大きな示唆を持っている…と私は思うんです。

「もうアメリカ人になっちゃったんじゃない」

アメリカに10年住んでます、と言うとよく頂く反応は「もう(中身が)アメリカ人になっちゃったんじゃない」というものです。ハグや挨拶、英語なども含めてアメリカ人的な言動が増えているのは確かです。が、多くの人は渡米前が100%日本的だったのが10年経って80%アメリカ20%日本になった、という具合に全体のパイの大きさが変わらない変化を想像しているようです。しかし実感としては、それぞれの文化がカバーしている部分がズレているので、渡米前の100%日本的な自分に、アメリカでサバイバルする中で身についた50%なり80%なりが多少かぶさりながら上に加わる、という具合でしょうか。なので、%で表すのは的確ではないですね。

例えば、ニューヨークに引っ越して最初に私がためらったのは口約束の軽さでした。映画の話をしていて「じゃあそれオレも観たかったから来週、一緒に見ようぜ!」的に盛り上がったとしても、数日経って連絡をとってみると「ごめん!もう見ちゃった!」と言われたり。来週に入って連絡したら「ごめん今週ずっと忙しい!」と言われたり。あの口約束は何だったんだ…と憤ることがたくさんありました。アメリカはかなり具体的に予定を決めるか、直前になって再度確認を取らないと予定が実行されないことも多いわけです。こういった習慣は、10年たった今でも私は慣れません。「約束は口約束でも守る」という習慣は日本で強く守られているし、それで育ってきたので私にとってはその部分を「アメリカ的になる」のは難しいのです。

しかし日本的な慣習の中に存在していないもの、日本的なコミュニケーションでは表現方法が無かったもの、に関してはまるでポッカリと開いてた穴に水が注ぎ込まれるように自然と習得してしまうことがあります。

異文化に慣れるのは、日本文化がカバーしていない部分から

その代表例はボディランゲージ。知らない、という意味で肩をすぼめたり、自分が気に入らないもの(たとえば電車の中で大音量で音楽を流す人が現れたりすると)を見た時に首を振ったり目をぐるりと回したり。親指を立てて承認や同意や称賛を示すといった行為は英語力に関係無く、多くの日本人が渡米してすぐに習得します。

これは想像ですが、ボディランゲージが強い文化圏の人はアメリカに引っ越してもボディランゲージは母国のものが強く残るのではないでしょうか。しかし日本ではそれほどボディランゲージは強くないのでこういったアメリカ式のボディランゲージがすっと導入されるわけです。(でも相手にお辞儀をされると瞬発的にお辞儀をしてしまうのが好例です)。

私の親しい友人でアメリカに5年ほど住んだものの英語力は全く向上しなかったけれど、本人も気付かない間に肩をすぼめたり、人のつまらない冗談に無言で首を振るというアメリカ人的なリアクションを取るようになった人がいました。

これも「埋まっていなかった穴にアメリカの水が入った状態」です。こんなふうに、日本的な慣習の中に「穴を埋めてくれる水」が存在していない分野は、どんどんと「アメリカ化」が進むわけです。

表現のツールを身につけると、使いたくなる

日本に帰ってきて日本常識マッスルメモリーが完全復活した後でも、誰かがクシャミをすると「Bless you」と言いたくなるのは私がアメリカ人的になったからというよりも、一度何かを表現するツールを見つけると人間はそれを使いたくなる、という特性から来ているのかなと思います。もしもクシャミを聞いたら「天上天下唯我独尊!」と声を掛ける習慣が日本に根付いていたら、私は10年アメリカに住んだ後でもクシャミを聞くたびに「天上天下唯我独尊!」と叫んでいたに違いありません。

日本とアメリカを行き来していると、自分は常にちゃんと頭で考えているつもりでいて実際は、状況に合わせて、あらかじめ決まった穴から、そこに入っている水が反応しているだけじゃないか、と思うことばかりです。ジーザス!やシット!といった言葉で自分の怒りや憤りを表現することを学んだ私は、それを知ってしまったが故に日本語で同じことが気軽にできなくてストレスを感じます。両親に久しぶりに再会すると喜びでハグをしてしまいます。その一方でアメリカで人が話にグイグイと言葉を挟みこんで来ることにイライラもします。結局は自分が与えられた環境ごとに順番にポッカリと空いていた穴に水が入っていって、それに操られている私の自由意志はどこに?と思ってしまうわけです。

私は日本で生まれ育ったものの、3歳の時に英語で歌って遊んで芝居をする団体に入れられたため、英語との出会いは非常に早く、そして体験に基づいたものでした。幼少期に外国語に触れることのメリットはたくさんあると思います。逆に、大人になってから外国語を勉強する難しさは「母国語(日本語)を知っていること」にあります。どんな状況でもまず日本語が思いついてしまう。何かを見たり聞いたりした時に日本語のカテゴリーで頭の中で分類してしまう。すでに穴に水が入ってしまっているので、そっちが反応してしまうわけです。

もちろん、幼少期の脳と発達した脳では生物学的に違っているので、その違いのほうが大きいのでしょう。しかし大人になっても、催眠術で「日本語を忘れる」ことができれば、子どもが英語を習得するように短期間でペラペラになることができるんじゃないか…なんて妄想をしてしまいます。

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本文は以上ですが、日本に久しぶりに帰国して外国語のレストラン名の多さに改めて感心しています。東京で滞在していた目黒駅の近くで見つけたケーキ屋はスペルが「Dalloyau」。読み方が全く見当もつかなかったので店員に聞いてみたら「ダロワイヨ」でした。フランス語はyauでワイヨになるんですね。

「とりま。」始めました。

Text by Masu Masuyama 文・写真:マスヤマコム

「とりま。」とは、NY/トロント在住の脚本家、近藤司(こんどう・つかさ)、パリ在住の歴史研究者世川祐多(せがわ・ゆうた)、東京をベースに年に3ー4ヶ月は海外に居る投資家/コンテンツ・プロデューサーのマスヤマコム、という3人をメインとして、月に数回のペースで文章を公開してゆく企画の名前である。

カチッとしたテーマがあるわけではないが、日本生まれ、育ちながら海外在住/経験が長い3人なので、必然的に海外の話題が多くなるだろう。ただ、単純な海外体験、旅行記ではなく、結果的に日本や日本文化が「相対化」して見えたり感じたりできるように意識はしている。

作家の佐藤優が『世界史の極意』(NHK出版新書)という本で、ロシアとイギリスの「世界史の教科書」(中高生向け)を比較している。簡単にいうとロシアは「ロシアにとって有利な論理」を展開しているのに対し、イギリスの教科書は「歴史を相対化して、過去の間違いから学ぶ」という姿勢を徹底しているのだ。佐藤優は「歴史認識としては、イギリスの方が圧倒的に強い」としている。なぜなら、イギリスは「自分の弱さを自覚した上で、今の時代(原文では“新・帝国主義の時代)への対応を模索しているから」である。

「とりま。」でも、その意味で「日本を相対化して見えるように」しようとしている。といっても、難しい話ではない。私(マスヤマ)が、海外に行くことが多いと言うと、ほぼ自動的に「いいですね〜」という社交辞令のようなホンネのようなリアクションがあるのだが、それに対して私は「海外に行けば行くほど、日本での生活、習慣、文化の素晴らしさを実感しますよ!」と答えることにしている。これも、ひとつの「相対化」と言えるだろう。

なお「とりま。」というのは「トリオ(3人組)」という単語をいじっているうちに出てきたネーミングであり、どう解釈していただいてもかまわない。とりま、始めました。

どうやって人と出会うのか?パリもお江戸も都市民はつらいぜ

Text by Yuta Segawa   文:世川祐多

私は2012年の秋に単身東京からパリへと渡った。東京やパリ生まれは別として、本物の江戸っ子や、巴里っ子が少ないように、普通、大都市には学業や仕事のため、単身者が集まってくる。

友人もいない街で、単身であるということは、孤独である。それを逃れるには人と会うしかない。夜遊びに繰り出すなり、自分の居場所を見つけるなり、人と触れ合おうとしていかなくては、人と出会う第一歩は生まれない。

江戸は、勤番侍や出稼ぎの農民などで溢れかえる、男過剰の独身男の街であった。今の東京も多くのシングルの男女が溢れかえる。パリもそう。半分は独身。これは昔も今も大都市の宿命と言える。

大都市では人とどうやって出会うのか? 〜ダイレクト編〜

大学。

博士課程では、そもそも博士課程の学生が数えるほどしかいないし、決められた授業もないから出会いは少ない。しかし、フランス人はほとんど修士課程に進んでから就職していくので、修士課程までは、学生仲間がたくさんいて、友情でも恋愛でも気の合う人との出会いがある。

こういうように博士課程でなければ、大都市でも学校が出会いの場になる。パーティーなんかに呼ばれれば、友達の友達へと出会いが広がる。

趣味。

スポーツやジャズといった音楽など、自分の趣味を通して、友達が増える。ホームパーティーなどに呼ばれて、さらに友達の輪が広がるというパターン。恋愛もあり。

職場。

職場の同僚と友達になるというのは、仕事は仕事だから難しいが、職場恋愛からの結婚というパターンは日本同様に多い。学生を終えれば出会いの場などそうそうないから当たり前。

といえども、ダイレクトな出会いで、気の合う仲間やドストライクな恋愛相手に出会うことは難しい。

大都市では人とどうやって出会うのか? 〜インダイレクト編〜

これは、主だって恋愛相手を求める人間が使うが、現代においては多種多様な出会い系サイトが溢れている。

セフレ募集。不倫相手募集。真面目な出会い。ホモセクシャルの出会い。アジア人専門・アラブ人専門・黒人専門・エリート限定など的を絞って対象を選別する出会い。

様々なサイトやコマーシャルがテレビでもメトロの広告でも溢れている。

さあ、しかし、ネットという気軽な媒体での出会いがここまで進化したのに、パリっ子の半数は未だ独身。これはどういうことか。

本当の友達、この人だという恋愛相手に出会う難しさ

みんながみんなそうではないが、普通、学士修士の大学生は、思春期から大人になり、酒を覚え大都会の夜遊びを覚えたてだから、にこやかに生活を謳歌し、友達も増えるわ、恋愛も順調。

問題は彼ら以外の大人たちの出会いである。

博士課程になると、人がいなくなり、研究仲間は会社の同僚のようなもので、通常友達という訳でもないし、内向的な人も多いから、それまでの学生生活とは違ったハリのないものになる。数人の仲間の中で、こいつ面白いな、この人いいな、というものは普通ない。研究者なんてそんなもの。

また、大都市に色濃くなる問題として、いつも人口過多の街で息苦しく、日々の生活に追われ、満員電車に乗り、狭い家に暮らし、疲れ果てるというストレスがある。

さらに、太陽不足を補うビタミン剤を飲まなくてはならないほど、秋冬春先に太陽のないパリの人間なんて、みんなイライラして、疲れて、日本同様鬱や自殺のオンパレード。そういうストレスを溜め曇った表情の気質の人に、いい出会いは訪れない。

人間は通常心身ともに健康で英気が満ち溢れ、自然とにこやかにいる時にこそ、様々の楽しい出会いの連鎖が起こっていく。

でもパリにはパーティーが多い。それは、少しでも誰かと出会いたいという人間の本能だろう。

しかし、パリのパーティーは、疲れ切った大人たちの酒肴を介した表面的なご挨拶パーティーになることが多い。「あなたはどなたのお友達で?」「何をされて?」「ご出身は?」「左様ですか、興味深うございまして。」という口上の連続。

僕はといえば、薄っぺらいことが嫌いだから、嗅覚を働かせて面白そうな人を探す。いちいち全員に表面的な挨拶を交わしても疲れるだけだし、満遍なくは無理。来られたら別として、こちらからは面白そうな数人、あるいは目があった女に絞る。心身ともに不健康そうな人は見りゃわかるし、目が淀んでいるから、できるだけ生き生きした目の人に近づく。

パリにはオンラインの出会いサイトが溢れているが、やっている人に聞くと、中には運命の相手を見つけたという人もいない訳ではないが、ほとんど戦果がイマイチだという。

「会ってはみたけれど。」「少々お付き合いしたけれど、やっぱり違った。」「体目当てのクソ野郎だった。」などという声を多く聞く。

フランス人は本来保守的だから、新しいものがアメリカのようにはすぐには発展しないのかもしれない。そして、相手をまずはよく見るし、警戒心も強く、同様に、ロマンチストでもあるから、やはりダイレクトな出会いを心の底では欲している。

すると、この花の都の人の渦、忙しない時の流れに比例する表面的な出会いの連続の中で、気の知れた友達の新規開拓、心底惚れて付き合いたい恋愛相手に出会うことは、一層むずかしくなるのである。

ロマンティックのかけらもないオンラインの軽さと、出会いたいのに出会えない、けどダイレクトに出会いたいという絶妙のラインを行くために、東京で流行っているとかいう相席居酒屋とか、街コンとか、そういうのがフランス人には合っているのではと思うのである。

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司さんの文を読んで、もちろんダイレクトな出会いにこだわる人もいるでしょうが、アメリカは合理的ならどんどん機械的なものの恩恵を躊躇なく受け入れて行くのだろうなという雰囲気が感じられました。

メリケンさんたちならいつの日か、ネットの出会いの時代も終わり、ポストモダンが来たら、出会うこともやめ、全て遠隔の人工授精で子孫を残すんじゃないかとか妄想してしまいます。ダイレクトな快楽は脳内のICチップがしてくれるからもう良いと。

他方、ネットの活用やネット上での出会いが隆盛なアメリカの、こういう合理化をどんどんやってしまう精神性が、アメリカのダイナミズムを生むのではなかろうかと。

アメリカという国にも住んでみたいなとも思う。けれど、英語を極めるなら、ロンドンだよなとも思うし。悩ましい。

恋愛はオンラインがスタンダードに。あなたの運命の相手は何ヘイター?

Text by Tsukasa Kondo    文:近藤 司

2008年9月4日に私はスーツケース一つを持って、演劇学校に通うために渡米しました。ニューヨークのJFK空港に降り立った私のスーツケースの中には学生時代に2万円払って購入した電子辞書が入っていました。子どもの時から英語を使う環境で育ったため英語には自信があったものの、いざアメリカ生活を始めたらきっと知らない単語がたくさんあるに違いない。学校や役所でパッと調べられたら便利なはず。そう思って持ってきた電子辞書でしたが、予想通りあらゆる場面で大活躍でした。

 「昔は紙の辞書しかなくて大変だった」

ニューヨークで知り合った日本人の方々が「私が渡米してきた時は紙の辞書しか無かったから、いちいち辞書を引くのも大変だった」と言っていたのをよく覚えています。若い読者さんのために説明しておくと、私は1984年生まれで当時は24歳。「紙の辞書しかなくて大変だった」と言っていた人だって私よりも8歳年上なくらいでした。

 そんな中、先日購入した日本行きの航空券。特に選んだわけではなかったのですが、9月5日の便です。午前1時の便なので9月4日のようなものです。ちょうど10年たって太平洋を逆方向に渡る私のスーツケースにはもちろん、電子辞書は入っていません。英語が上達したからではなく、スマホで何でも調べられるようになったからです。

 スマホで英単語を調べている留学生を見たら、「私が渡米した時は電子辞書しか無かったから大変だった」と私だって苦労自慢できる時代になったわけですね。「テクノロジーの発展」という言い回しは何十年も使われてきましたが、考えてみると私達が一つのテクノロジーについて語る時間は非常に短いものです。

 There’s an app for that(それやってくれるアプリあるよ)」

 テクノロジーの盛衰と共に、言葉もまたその形を変えていきます。「辞書を引く」という表現が日常会話から消えてしまったのと同じように、8年後には「ググる」なんて言葉は誰も使わなくなっているかもしれません。

 私が渡米してからの3年ほど、ひたすら耳にした表現が「There’s an app for that.(それやってくれるアプリあるよ)」でした。iPhoneが爆発的に人気になり、成功したアプリ会社がいきなり何十億、何百億円もベンチャーキャピタルからお金を集めた、なんて話が新聞を賑わせ始めた時代です。「部屋探し?There’s an app for that.」「地下鉄の時間しらべる?There’s an app for that.」「タクシーつかまえる?There’s an app for that.」といった具合です。それまでの日常生活のちょっとした作業をアプリで簡略化する、ということが爆発的にテストされた時期でした。

 There’s an app for that.」というフレーズは全国的なトレンドとなり、セサミストリートもそれをモチーフにしたエピソードを作っています。

面白いのは、アプリ自体がさらに一般化したことで、今となってはこのフレーズを聞かなくなったことです。アプリという存在が新しかったからこそ、人々が「まだ国際電話なんてかけてるの?There’s an app for that.」と日常生活にアプリを導入するという作業を細かくする必要があったわけです。今ではアプリはしっかりと定着し、通信、エンタメ、交通、旅行、とそれぞれのカテゴリーで高いシェアを誇るアプリが確立しています。「それ、アプリでできるよ」と紹介する必要が無くなったわけですね。

 オンラインデートが変える、人類史

 アプリが代替したものはたくさん存在しています。そんな中でも特に、人間の歴史に残る大きなインパクトだ、と私が個人的に思っているのが「恋愛相手との出会い」、すなわちデート・アプリです。性格や趣味に関する質問にいくつも答えて、アルゴリズムが相性が良い可能性の高いデート相手を提案してくれるようなものから、ただ画像だけを右と左にスワイプしていくものまで、様々な人気アプリが世に出ています。アジア人向け、ユダヤ人向け、と対象ユーザーを絞ったものもあれば、「真剣な交際を考えている人だけ(カジュアルなセックス目的じゃない)」と目的を絞ったものもあります。

 基本的なシステムはどれも同じです。アプリ上で画像とプロフィールを見て、お互いに気に入ればマッチ成立。メッセージを交換します。チャットを通して会いたいと思えばデート。という流れです。1日に大量のユーザーのプロフィールと画像をチェックして、効率的に自分に興味を持ってくれる人を探すことができます。一般人の恋愛相手探しが、突然に指数関数的に効率的になったわけです。これが社会に影響を与えないわけがありません。

 (ウェブ・アプリによる)オンライン・デートが社会に与える影響に関する研究はまだ新しいものですが、すでにアメリカでは異性愛者間では「友人を通じて会う」に次いで二番目に多い出会い方となっており、同性愛者間では群を抜いて一番多い出会い方となっています。アメリカでは現在、結婚するカップルの1/3はオンラインで出会ったとされています。また従来のデート候補との出会い方とは違って、オンライン・デートでは相手は共通の友人などもいない、全くの他人であることが多く、交流が全くない社会的なグループを結びつけるという効果を生んでいるようです。異なる人種間の結婚も増えることが予想され、さらにはオンラインデートが存在している社会における結婚の方が強固であるというモデル・シミュレーションも出ています。オンライン経由での出会いから成立したカップルの結婚が一般化すればオンライン・デートに関するイメージも良くなり、さらに利用者は増えるでしょう。なにせほとんどのサービスが無料、かつ誰しもがスマホを持っている時代です。何回かクリックするだけで、もしかしたら運命の相手と出会えるかもしれない

 どうでしょう。「私の時は、リアルで出会わないと恋愛できなかった」と苦労自慢する時代がすぐ近くまでやってきているように思います。

「オレの彼女、アンチ巨人ファンなんだ」

いろんなコンセプトの物が作られてきたデート・アプリですが、個人的に面白いなと思ったのは元ゴールドマン・サックスの従業員によるアプリ「Haterです。Haterとは「嫌う人」の意味。ただ文句ばかり言うような人をまとめて「Hater」と表現することもあれば、特定の物を嫌っている人を◯◯Haterと表現することもあります。

このデート・アプリ、好きな物が同じ人をマッチングするのではなく、嫌いな物が同じ人をマッチングするというコンセプトです。どうですか。確かに好きな物よりも嫌いな物の方が相性を測る上では正確な気がしないでもないですよね。趣味が一緒じゃなくてもいい、お酒やコーヒーが好きじゃなくてもいい、好きな映画が同じじゃなくてもいい、「巨人ファン/阪神ファンが大嫌い」という一点で同意できたら相性が良いことが分かる!という感覚でしょうか。

日本でも人気のテイラー・スウィフトの「Shake It Off」という歌では「And the Haters gonna hate, hate, hate, hate, hate(嫌う人は何やっても嫌ってくる)」と歌詞にHaterが使われています。皮肉にもアプリ「Hater」を紹介する記事では共通の「Hate」ポイントの例としてテイラー・スウィフトが使われていますが

しかし新しいデートアプリが次から次に出てくるということは、恋愛相手を上手く見つけている人もいる一方で、新しいアプリを必要としている人もいるわけです。「ニューヨークで恋愛するのは難しい」とは良く言われます。理由は人によって違うでしょうが、多くの人が同意するのは「Everybody is looking for the next best thing.」というもの。The next best thingは「次のベストな物」。つまりちょっと相性が良い人が見つかっても「もっと良い相手」が見つかったらそっちに移りたい、と皆が思っているということです。ニューヨークという上昇志向な街に集まる高スペックな人々によるデート市場ではこの気質も強そうです。相手に自分こそが「the best thing in townfor me)」だと思ってもらわないといけない。アプリによってデート・システムがさらに効率化することで競争は一層熾烈になっているのでしょう。

 #私の運命の相手はこれが嫌いなはず

 もしも「自分の運命の相手が嫌いだったらいいなと思う物をリストアップしなさい」と言われたら、皆さんは何を挙げますか?#私の運命の相手はこれが嫌いなはずハッシュタグを使ってツイッターやFacebookで教えてください。

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 と、本文はここまでです。ちなみにマスヤマさんの前回のエントリーの冒頭では「死ぬまでに、一度(あるいはもう一度)行ってみたい場所は、どこですか?」という質問が投げかけられていました。なかなか答えるのが難しい質問ですね。私にとっては「死ぬまでに、おそらく一度も行かない場所」という質問に答える方がずっと簡単です。

 私はゲイなので、ゲイであること自体が違法であり死刑にもなりうるサウジアラビアやイランに行くことはまず無いように思います。死刑にならなくともホモフォビアが強いとされているロシアやアフリカの国には進んで行くことは無いように思います。人生は短いので、限られた時間を使って旅行に行くのであれば、マスヤマさんが挙げていたような「LGBTにフレンドリーな場所」の中から自分が興味のある場所をピックアップして訪れると思います。パートナーのことを友人、と嘘をついて紹介しないといけない。手をつないでいたら後ろから殴られて殺されるかもしれない。なぜわざわざそんな恐怖を克服してまで旅行しないといけないんだと、つらつらと書いてみるとなぜデートアプリ「Hater」が開発されたかがピンときます。

 好きなものが好きな理由を説明するのは難しいですが、何かに対して自分が強固に「NO!」と言える時、それを説明するのは実に簡単です。自分が絶対にNO!と言うものを説明して恋愛相手を探すというのは、実はかなり奥深いものがあるのかもしれません。それがアンチ巨人であれ、アンチ阪神であれ。

 

 

 

 

50 Years Radio -牧村憲一の50年- 021

50 Years Radio、第21回は1980年のお話を伺います。

大貫妙子ヨーロッパ三部作の『ロマンティーク』『アヴァンチュール』

『ロマンティーク』の宣伝用チラシ

東西を分けるベルリンの壁

西ベルリンでの加藤和彦。『うたかたのオペラ』録音メンバーと。

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牧村憲一(まきむら・けんいち):1946年、東京都渋谷区生まれ。音楽プロデューサー、「音学校」主宰。ユイ音楽工房の設立に参加後、CM制作会社オン・アソシエイツ音楽出版にてサイダーのCMなどを手伝う。その後音楽制作宣伝会社アワハウスを設立。加藤和彦、大貫妙子、竹内まりや、フリッパーズ・ギターら数々のアーティストの歴史的名盤の制作・宣伝を手がけ、現在も活躍中。著書に『「ヒットソング」の作りかた』(NHK出版)、『未来型サバイバル音楽論』(中公新書ラクレ、津田大介との共著)などがある。

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50 Years Radio
企画・制作:一般社団法人MAM
出演:牧村憲一
プロデューサー:マスヤマコム
レコーディング・音楽:美島豊明
プロダクション・マネージャー:山嵜健児

 

mim レクチャー #10 輪島裕介さん(大阪大学)・資料集と補足

環太平洋・間アジア視点から見直す日本ポピュラー音楽史

2018/07/28 輪島裕介

Playlist:
https://www.youtube.com/playlist?list=PLofNvvSGnd26ydb13o6FYr3QzBzWzo9Es

  • レクチャーの意図:海外「からの」影響だけではなく、海外「への」影響も含めて日本の大衆音楽史を考え直したときになにが見えてくるか?
    →「洋楽受容史」ではない語り口<

  • 日本のポピュラー音楽は、日本の人々がアジアを含む「世界」での受容を強く意識し始めた1990年代〜21世紀に先行して強い影響力を持っていたのではないか。つまり、「クールジャパン」を言い出したときにはすでに「クール」ではなくなっていたのではないか? そのことをどう考える?

    1 カタコト歌謡と環太平洋

    昭和のはじめに外資系レコード会社が「ジャズ・ソング」の形式をもたらしたのが「流行歌」の直接的な起源といえる

  • バートン・クレーン「酒がのみたい」:当時の「ジャズ・ソング」の新奇性と滞日アメリカ人によるバイリンガル・カタコト日本語歌唱

  • 川畑文子「上海リル」:日系アメリカ人歌手(二世歌手)の相次ぐ来日
    日本におけるジャズ・ソング/流行歌のモダン性、アメリカにおける日系エンタテイナーの活動の難しさ、アメリカの主流的音楽におけるエキゾティシズム

  • ディック・ミネ「ダイナ」:日本語母語話者による英語風歌唱法

    ディック・ミネはもともとダンスホールのバンドのドラマーで、ドラムが入らず英語詞ではないタンゴやハワイアンをでたらめな歌詞で歌っていた。「英語風発音の日本語」はその延長上の、バンドマン的な遊びだったのではないか。ちなみにこの録音のスチールギターもミネ本人。この歌い方にGOを出したのは、当時テイチクの重役待遇でプロデューサー的な業務も行っていた古賀政男といわれる。

  • 二世歌手とニセ二世歌手による古賀メロディ「恋は荷物と同じよ」:古賀メロディが暗く悲しいものだけではないこと、そして当時のモダン文化の一翼を担っていたことがわかる

  • 灰田勝彦「こりゃさの音頭」:二世歌手のハイブリッド音楽の最高峰

2 台湾語混血歌謡から台湾語ロックへ
1950年代末〜60年代台湾における、同時代の日本の流行歌の台湾語カヴァー(混血歌)の隆盛。その背景としての国民党による台湾語抑圧。そのシンボルとしての「黄昏的故郷」。
一方で、戦後日本歌謡史における「民謡調流行歌」と三橋美智也の重要性を再認識し、「演歌」言説によって切断された歌謡史の連続性を再発見する。

・越境する郷愁:「黄昏的故郷」をめぐって

  • 三橋美智也「赤い夕陽の故郷」(1958

    「流れ者」の題材、C&W風ギター、3連リズムと弱起メロディ等々、西部劇的要素が「民謡調」の発声で歌われる(小林旭「ギターを持った渡り鳥」の元ネタ?)。作曲は、戦前にミルズ・ブラザーズ風のジャズ・コーラス・グループのコロムビア・リズム・ボーイズを率いた中野忠晴。当時の流行歌の近代性と土着性をかなり高い次元で融合した楽曲であり歌唱?

  • 文夏「黄昏的故郷」(1958

  • 編曲はほぼ完コピ、歌詞も直訳。60年代後半以降「禁歌」となる。また、(主に政治的理由で)台湾を離れた人々の愛唱歌となる。

  • 伍佰&陳昇によるカヴァー

  • 1987年の戒厳令解除後の台湾アイデンティティの高まりとともに、インディ・ロックの文脈で(中国語ではなく)台湾語ロックを歌い始めた若い世代からも再注目される。伍佰&陳昇はその代表格(今や超大御所)。「禁歌」としての来歴が真正性を高めた?
    (参考・戒厳令解除年記念の禁歌コンサートでの文夏の演唱。アレンジは陳昇版をとりいれている。)

  • (*補足:蔡英文の総統就任イヴェントで原住民の歌手・巴奈(Panai Kusui)によって歌われたヴァージョン。ここでの「故郷」は原住民が回復すべき土地という含意を強く持つ。

橋幸夫「恋をするなら/墓仔埔也敢去」三態

  • 伍佰

  • 陳昇&橋幸夫

  • 蔡依林

(補足・レクチャーでは十分言えなかったこと。三橋美智也や橋幸夫は当時においてはきわめて重要だったけれど、現在では「演歌」の文脈でも「Jポップ」の文脈でも顧みられにくい存在である。むしろそれゆえに、当時の流行歌の多様性をわれわれが新たに発見し再解釈するための手がかりにもなるのではないか。それは60年代後半に大きな断絶を認めるような日本大衆音楽史観に別な視点を付け加えることにもつながるだろう。そのために、彼らの楽曲が台湾でカヴァーされ続けているありかたがとても示唆に富んでいるように思われる)

3 ダンスリズムの伝播と土着化
戦前から現在まで、ダンスと結びついたポップ音楽(音楽と結びついたダンス)は、身体という媒介を通じて越境し、土着化してきた。先の「恋をするなら」も「サーフィン」なる「ニューリズム」の一環として企画されたものだった。ダンス音楽の伝播と土着化は、活字と音盤による観念的な「洋楽受容」とは異なって、猥雑で官能的な(それゆえに文化的境界を越えやすい?)感受性に依拠していたのではないか。

・環太平洋的音楽家としての服部良一
白系ロシア人(ウクライナ系)のエマニュエル・メッテルに作曲と管弦楽法を習い、大阪のダンスホールで演奏し、松竹の道頓堀ジャズ・レヴューを東京に持ち込み、戦時中を上海で過ごし、戦後はブギで大当たりし、香港映画音楽の父となる。

  • 服部良一作曲「ジャジャンボ」:日本では空振り、香港で大成功

  • フィリピン発オフ・ビート・チャチャの様々な土着化
    *カーディング・クルス楽団「パチンコ」からドドンパへ(日本)

  • ドドンパ最大のヒット「お座敷小唄」の台湾語版「酒場情話」

  • 江玲「春的夢(支那の夜)」(香港):大東亜共栄圏宣伝歌から占領軍兵士の愛唱歌へ

  • 黃清元「人生是苦杯」(シンガポール):60年代にシャドウズの影響下にエレキ・バンドのサウンドを定着させたThe Stylersがバック。OBCは「本格的」な英国風(シンガポールは元英領)ロックとは別に、華人の若者が日曜の午後に楽しむ社交ダンスのリズムとして人気があったらしい。そのため、台湾や香港経由で入ってくる楽曲の編曲が多く、そのさらに元ネタが日本である場合もしばしばあったようだ。この元曲は「ヤットン節」。1950年代初頭の酒飲み歌で、当時、占領期日本において(米兵や朝鮮戦争成金の乱痴気騒ぎとの観念連合で)「植民地的」「退廃的」と激しく非難されていた。当時のインテリや文化人が忌み嫌った「俗悪な流行歌」の典型。

  • John Teo & The Stylers, “I love Boh Boh Cha Cha”: 1970年代の日本社会の記憶がある人なら誰でも知ってるあの曲のカヴァー。boh boh cha chaはマレー風デザートの名前。もちろんリズムのcha chaとかけている

  • (当日紹介できなかったネタ:

    ①戦前上海の懐メロのチャチャ編曲にあわせてご婦人たちがラインダンス。現在OBCといえばこれがイメージされるらしい。

    ②台湾原住民アミ族のチャチャ。原曲はあの曲(実は和製ボサだった!)

    ③近年の台湾映画主題歌でのチャチャ(2015)。北京出身の富豪青年と台湾南部出身の令嬢の結婚に際しての両家の文化的風習の衝突を主題にした正月の娯楽映画で、派手で下世話な「台湾南部の宴」の象徴として用いられている
     映画はこちらから。

  • Namewee黃明志「泰國恰恰Thai Cha Cha」(2017):”You’re not Thai People. You don’t know Thai Cha Cha”. Nameweeはマレーシアの華人で台湾に留学していた音楽家兼映像作家。アジア各国のエスニック・ステレオタイプを極端に増幅して露悪的な笑いをとるスタイルが特徴。つまり「いかにもタイ的」な意匠としてタイ・チャチャが用いられている。

    結:日本ポップの批評的(かつノスタルジー的)再解釈

  • 日本・香港・韓国のダンシング・ヒーロー詰め合わせ:ビデオ作成者はシンガポールの代表的メディア研究者のLiew Kai Khiun. 彼との対話が今回のレクチャー全体に大きく影響している

    和製洋楽ユーロビート→全盛期広東語ポップ→日本でのバブル再解釈(誤読)→K-POPへの取り込み→韓国のアイドルオーディション番組でのAKBメンバーによる演唱。東アジア大衆文化におけるJからKへの中心の移動?

  • 9m88(台湾)によるPlastic Loveカヴァー(2017):80年代ベストテン番組へのオマージュ。「かつて憧れた日本」へのノスタルジー? 80年代日本のシティポップの「かつて憧れたアメリカ」と同型?

  • 2020年に向けて、または英語風日本語から日本語風英語へ

    (「東京五輪音頭2020」との差に愕然…)

50 Years Radio -牧村憲一の50年- 020

50 Years Radio、第20回は1979年のお話を伺います。

1979年前後の加藤和彦の仕事

カメリアレコード、Exプロジェクト

バハマ

ナッソー ビーチ ホテル(バハマ)絵葉書

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牧村憲一(まきむら・けんいち):1946年、東京都渋谷区生まれ。音楽プロデューサー、「音学校」主宰。ユイ音楽工房の設立に参加後、CM制作会社オン・アソシエイツ音楽出版にてサイダーのCMなどを手伝う。その後音楽制作宣伝会社アワハウスを設立。加藤和彦、大貫妙子、竹内まりや、フリッパーズ・ギターら数々のアーティストの歴史的名盤の制作・宣伝を手がけ、現在も活躍中。著書に『「ヒットソング」の作りかた』(NHK出版)、『未来型サバイバル音楽論』(中公新書ラクレ、津田大介との共著)などがある。

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50 Years Radio
企画・制作:一般社団法人MAM
出演:牧村憲一
プロデューサー:マスヤマコム
レコーディング・音楽:美島豊明
プロダクション・マネージャー:山嵜健児

 

50 Years Radio -牧村憲一の50年- 019


50 Years Radio、第19回は1978年のお話を伺います。

レコーディング時のスタッフ、協力者との記念撮影

竹内まりや(竹内マリヤ)の参加したロフトの企画アルバム

大貫妙子サード・アルバム(2018年5月23日再リリース盤)

リリース当時のミニヨン・プロモ資料

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牧村憲一(まきむら・けんいち):1946年、東京都渋谷区生まれ。音楽プロデューサー、「音学校」主宰。ユイ音楽工房の設立に参加後、CM制作会社オン・アソシエイツ音楽出版にてサイダーのCMなどを手伝う。その後音楽制作宣伝会社アワハウスを設立。加藤和彦、大貫妙子、竹内まりや、フリッパーズ・ギターら数々のアーティストの歴史的名盤の制作・宣伝を手がけ、現在も活躍中。著書に『「ヒットソング」の作りかた』(NHK出版)、『未来型サバイバル音楽論』(中公新書ラクレ、津田大介との共著)などがある。

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50 Years Radio
企画・制作:一般社団法人MAM
出演:牧村憲一
プロデューサー:マスヤマコム
レコーディング・音楽:美島豊明
プロダクション・マネージャー:山嵜健児

50 Years Radio -牧村憲一の50年- 018


50 Years Radio、第18回は1977年のお話を伺います。

レコーディングスタジオ(宝島の取材)

大貫妙子セカンドアルバム、レコーディングメンバー

当時ビクター宣伝にいた川原氏が、のちに大瀧詠一さんとともに作った「イエローサブマリン音頭」

大貫妙子セカンドアルバムのラベル

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牧村憲一(まきむら・けんいち):1946年、東京都渋谷区生まれ。音楽プロデューサー、「音学校」主宰。ユイ音楽工房の設立に参加後、CM制作会社オン・アソシエイツ音楽出版にてサイダーのCMなどを手伝う。その後音楽制作宣伝会社アワハウスを設立。加藤和彦、大貫妙子、竹内まりや、フリッパーズ・ギターら数々のアーティストの歴史的名盤の制作・宣伝を手がけ、現在も活躍中。著書に『「ヒットソング」の作りかた』(NHK出版)、『未来型サバイバル音楽論』(中公新書ラクレ、津田大介との共著)などがある。

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50 Years Radio
企画・制作:一般社団法人MAM
出演:牧村憲一
プロデューサー:マスヤマコム
レコーディング・音楽:美島豊明
プロダクション・マネージャー:山嵜健児