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50 Years Radio -牧村憲一の50年- 017


50 Years Radio、第17回は1976年のお話を伺います。

設立した音楽事務所OUR HOUSE(のレターパッド)

1976年、シュガーベイブ解散

1976年10月、新宿ロフトの録音メモ

新宿ロフト、月間スケジュール

山下達郎、ニューヨーク録音メンバー

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牧村憲一(まきむら・けんいち):1946年、東京都渋谷区生まれ。音楽プロデューサー、「音学校」主宰。ユイ音楽工房の設立に参加後、CM制作会社オン・アソシエイツ音楽出版にてサイダーのCMなどを手伝う。その後音楽制作宣伝会社アワハウスを設立。加藤和彦、大貫妙子、竹内まりや、フリッパーズ・ギターら数々のアーティストの歴史的名盤の制作・宣伝を手がけ、現在も活躍中。著書に『「ヒットソング」の作りかた』(NHK出版)、『未来型サバイバル音楽論』(中公新書ラクレ、津田大介との共著)などがある。

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50 Years Radio
企画・制作:一般社団法人MAM
出演:牧村憲一
プロデューサー:マスヤマコム
レコーディング・音楽:美島豊明
プロダクション・マネージャー:山嵜健児

50 Years Radio -牧村憲一の50年- 016


50 Years Radio、第16回は1975年のお話を伺います。

センチメンタル・シティ・ロマンスのレコ発ライブ。市ヶ谷ソニー本社地下にて。

ナイアガラ・ムーンの業界誌広告。

横浜のコンサートの手書きチラシ。

シュガーベイブのセカンドコンサートのチケット。

エレックレコードのカタログ。

エレックレコードの新聞。
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牧村憲一(まきむら・けんいち):1946年、東京都渋谷区生まれ。音楽プロデューサー、「音学校」主宰。ユイ音楽工房の設立に参加後、CM制作会社オン・アソシエイツ音楽出版にてサイダーのCMなどを手伝う。その後音楽制作宣伝会社アワハウスを設立。加藤和彦、大貫妙子、竹内まりや、フリッパーズ・ギターら数々のアーティストの歴史的名盤の制作・宣伝を手がけ、現在も活躍中。著書に『「ヒットソング」の作りかた』(NHK出版)、『未来型サバイバル音楽論』(中公新書ラクレ、津田大介との共著)などがある。

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50 Years Radio
企画・制作:一般社団法人MAM
出演:牧村憲一
プロデューサー:マスヤマコム
レコーディング・音楽:美島豊明
プロダクション・マネージャー:山嵜健児

50 Years Radio -牧村憲一の50年- 015

50 Years Radio、第15回は1974年のお話を伺います。

70年代、サディスティック・ミカバンドや大瀧詠一の音楽と共に歩んだデザイン集団、WORKSHOP MU!!の全作品集。

サディスティック・ミカバンドのアート・ワーク

CM制作会社ONの楽譜。当時の譜面はON社に保管されています、サイダー♩

1974年、所属レコード会社の枠をこえて開催されていたホーボーズ・コンサートのチラシ。

1973年暮れに行われた、シュガーベイブのコンサート・チラシ。会場には大滝詠一さん、伊藤銀次さんが。

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牧村憲一(まきむら・けんいち):1946年、東京都渋谷区生まれ。音楽プロデューサー、「音学校」主宰。ユイ音楽工房の設立に参加後、CM制作会社オン・アソシエイツ音楽出版にてサイダーのCMなどを手伝う。その後音楽制作宣伝会社アワハウスを設立。加藤和彦、大貫妙子、竹内まりや、フリッパーズ・ギターら数々のアーティストの歴史的名盤の制作・宣伝を手がけ、現在も活躍中。著書に『「ヒットソング」の作りかた』(NHK出版)、『未来型サバイバル音楽論』(中公新書ラクレ、津田大介との共著)などがある。

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50 Years Radio
企画・制作:一般社団法人MAM
出演:牧村憲一
プロデューサー:マスヤマコム
レコーディング・音楽:美島豊明
プロダクション・マネージャー:山嵜健児

50 Years Radio -牧村憲一の50年- 014


50 Years Radio、第14回は1973年のお話を伺います。

001神田川 牧村がユイ音楽出版で原盤ディレクターを担当し、初のミリオンヒットとなったもの。

002ジャックス 伝説の、、、と呼ばれるロック・グループ。メンバーの一人木田高介が『神田川』のアレンジャーであり、ほとんどの演奏を担当した。(貴重なサイン集、真ん中の段に木田高介のサインがある)

003大瀧詠一ソロの雑誌広告、この時点ではレコード会社は大瀧詠一とはっぴいえんどは同列の扱いであり、解散という気配もなかった。

大瀧詠一、ご存知サイダー’73TVCM。

004ユーミン、サディスティック・ミカ・バンドも活動開始。

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牧村憲一(まきむら・けんいち):1946年、東京都渋谷区生まれ。音楽プロデューサー、「音学校」主宰。ユイ音楽工房の設立に参加後、CM制作会社オン・アソシエイツ音楽出版にてサイダーのCMなどを手伝う。その後音楽制作宣伝会社アワハウスを設立。加藤和彦、大貫妙子、竹内まりや、フリッパーズ・ギターら数々のアーティストの歴史的名盤の制作・宣伝を手がけ、現在も活躍中。著書に『「ヒットソング」の作りかた』(NHK出版)、『未来型サバイバル音楽論』(中公新書ラクレ、津田大介との共著)などがある。

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50 Years Radio
企画・制作:一般社団法人MAM
出演:牧村憲一
プロデューサー:マスヤマコム
レコーディング・音楽:美島豊明
プロダクション・マネージャー:山嵜健児

50 Years Radio -牧村憲一の50年- 013


50 Years Radio、第13回は1972年のお話を伺います。

001『はっぴいえんど』LA録音からの帰国記者会見

002大瀧詠一ソロアルバムのラフミックス・テープ

003ユイ音楽出版当時の自分。

004当時の音楽誌。『音楽プロデューサー』の特集は、その後大きな影響を与えた。
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牧村憲一(まきむら・けんいち):1946年、東京都渋谷区生まれ。音楽プロデューサー、「音学校」主宰。ユイ音楽工房の設立に参加後、CM制作会社オン・アソシエイツ音楽出版にてサイダーのCMなどを手伝う。その後音楽制作宣伝会社アワハウスを設立。加藤和彦、大貫妙子、竹内まりや、フリッパーズ・ギターら数々のアーティストの歴史的名盤の制作・宣伝を手がけ、現在も活躍中。著書に『「ヒットソング」の作りかた』(NHK出版)、『未来型サバイバル音楽論』(中公新書ラクレ、津田大介との共著)などがある。

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50 Years Radio
企画・制作:一般社団法人MAM
出演:牧村憲一
プロデューサー:マスヤマコム
レコーディング・音楽:美島豊明
プロダクション・マネージャー:山嵜健児

50 Years Radio -牧村憲一の50年- 012


50 Years Radio、第12回は1971年のお話を伺います。

001月刊誌『東京人』のフォーク特集号。第3回全日本フォーク・ジャンボリー(1971年8月)の第1サブステージ。

002その『東京人』の右上にいる24歳の自分。

0031971年、世界歌謡祭のグランプリ受賞曲『出発の歌』のシングルのジャケット。このヒットがBellwood レコードの設立の原動力の一つとなった。

004当時通ったロック喫茶、渋谷BYGの広告が出ているニューミュージックマガジン誌。

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牧村憲一(まきむら・けんいち):1946年、東京都渋谷区生まれ。音楽プロデューサー、「音学校」主宰。ユイ音楽工房の設立に参加後、CM制作会社オン・アソシエイツ音楽出版にてサイダーのCMなどを手伝う。その後音楽制作宣伝会社アワハウスを設立。加藤和彦、大貫妙子、竹内まりや、フリッパーズ・ギターら数々のアーティストの歴史的名盤の制作・宣伝を手がけ、現在も活躍中。著書に『「ヒットソング」の作りかた』(NHK出版)、『未来型サバイバル音楽論』(中公新書ラクレ、津田大介との共著)などがある。

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50 Years Radio
企画・制作:一般社団法人MAM
出演:牧村憲一
プロデューサー:マスヤマコム
レコーディング・音楽:美島豊明
プロダクション・マネージャー:山嵜健児

mim レクチャー #07 増田聡さん(大阪市立大学)・資料集

音楽のパクリについて

増田聡(大阪市立大学准教授・音楽学)

「どこまで似てたらパクリなの?」「パクリとリスペクトの境界ってどこ?」といった(よくある)疑問にはあまり答えられないかもしれません(すみません)。その代わり、われわれが何かを「パクリ」と呼ぶとき「そこで何が起きているか」を美学/芸術哲学の視点からやんわり眺めてみます。
「よく似たメロディ」と「同じメロディ」は「同じ」なのでしょうか? いろんな「よく似た」ポップスを聞き比べながら考えましょう。
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Todd Rundgren “Good Viblations” (1976)
The Beach Boys “Good Viblations” (1966)
トッド・ラングレンによるビーチ・ボーイズのカバー。通常、ポップスではこのような「原曲そっくり」を目指すカバーは行われない。カバーにおいてはほぼ必ず「なんらかの(あたらしい)創作」が行われている。
The Jimi Hendrix Experience “Purple Haze”
Kronos Quartet “Purple Haze”
The Shamen “Purple Haze”
「パープル・ヘイズ」の原曲とカバー2つ。ポップ・ミュージックにおける通常のカバーはこのようなもの。
10cc “I’m not in love”
ザ・ゲロゲリゲゲゲ「I’m Not in Love」(『パンクの鬼』収録)
アルバム曲名表を参照して聴いてください↓
ザ・ゲロゲリゲゲゲによる10ccの「カバー」。これは実質的にはカバーとは言い難いが、形式的には(原曲のタイトルが名指され、その「演奏」として扱われている点で)「カバー」であると見なさざるをえない(ちなみにJASRACへの著作権料支払いは行われていない)。
ポップ・ミュージックにおけるカバーは、トッド・ラングレンとゲロゲリゲゲゲのそれを両方の極とする範囲内で、さまざまなかたちで別作品を参照しつつ「創作」を行い、「同じ曲の異なる演奏」と称する。カバーとは「原曲を再び演奏したもの」というより、二つの「違う曲」の間に構築されるリンク関係と理解する方が適切。
日本で「音楽の剽窃」が争われた裁判例は現時点で二つのみ。
「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」事件と「記念樹」事件
Tony Bennett “Boulevard Of Broken Dreams”
「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」事件で「剽窃された」と訴えがあった原曲(もとは1933年の米映画の主題歌)
石原裕次郎「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」(当日は越路吹雪・歌で聴いた。YouTubeで聞けないためこちらを挙げておく)
「剽窃した」と訴えられた曲。裁判では原告敗訴、つまり「この曲は剽窃ではない」という判決がくだった。
「どこまでも行こう」
「記念樹」事件で「剽窃された」と訴えがあった原曲。ブリジストンのCMソング。
「記念樹」
「記念樹」事件で「剽窃した」とされた曲。こちらでは「ワン・レイニー〜」事件と異なり原告勝訴。つまりこの曲は「著作権侵害」とされ現在ではCDは廃盤。
裁判によって「剽窃」とされた曲であるが、「ワン・レイニー〜」事件の両者と比べて明らかに「こちらは剽窃」と言えるだろうか?
オレンジレンジ「ロコローション」
リリース当初は自作曲だったはずが、2004年紅白歌合戦の放送ではGerry Goffin & Carole Kingの作詞曲と表記され作曲者クレジットの変更が発覚。ネット世論や週刊誌で炎上。のちに、ゴフィン&キングの音楽出版社からのクレームでクレジットが変更された事実が明らかになる。
Little Eva “Loco-motion”
ゴフィン&キングによる「原曲』。しかしそんなに似ていない…(「ロコローション」のサビ終わりのフレーズが “Loco-motion”のAメロと似ているのみ)
Shampoo ” Trouble”
むしろ全体的な構造としてはこちらが「ロコモーション」の雛形となっているように感じられる。
音楽的類似性よりも「タイトルの類似性」という文脈が「パクリ」の認定に影響した一例。
TINY BRADSHAW “THE TRAIN KEPT A-ROLLIN”(1951)
ロック・クラシックの「トレイン・ケプト・ローリン」の原曲。
Johnny Burnette Trio “Train Kept A Rollin'”(1956)
ブラッドショウのバージョンとかなり印象が違うが、著作権者はブラッドショウ。
The Yardbirds “Train Kept A Rollin'”(1965)
著名なヒット・バージョン。著作権者はブラッドショウだがバーネットのギターリフを下敷きとしたサウンド。
サンハウス「レモンティー」(1975)
日本ロック史初期の「お手本の模倣」。明らかにヤードバーズの「トレイン・ケプト・ローリン」が下敷きになっているが、著作権者はサンハウス名義。
音楽的な創作性の継承関係と著作権クレジット(お金の行き先)が別のロジックに属していることがわかる。
Led Zeppelin “The Lemon Song” (1969)
ハードロックの祖であるツェッペリン作曲として当初リリースされたこの曲も、シカゴブルースの大物であったハウリン・ウルフ(ブルースブームであった当時の英国では著名だった)の曲の剽窃であると非難され、のちに作曲者クレジットが変更された。
Howlin’ Wolf “Killing Floor” (1964)
ベースラインの類似性に注目(こういう場合は「注耳」と記すべきか)。しかしこの時点では生成途上にあったハードロックが、音楽史の中に確固とした位置を占めた歴史を経たこんにち、ツェッペリンとハウリン・ウルフによる二つの曲は「全く別物」に聞こえてくる。そのことは、音楽の類似性を発見し「パクリ」とみなす聴取のありようが、歴史的な聴取の文脈変容、すなわち「音楽のどの側面を重要なものとして聴いているか」の違いに左右されているという事実を指し示している。

 

50 Years Radio -牧村憲一の50年- 011


50 Years Radio、第11回は1970年(昭和45年)のお話を伺います。
1970年9月16日のコンサート企画をしたことがきっかけとなり、小室等と六文銭のマネージャーへと繋がった。この年、23歳。

011970年10月に発売された。岡林信康(演奏・はっぴいえんど)の「だからここに来た/コペルニクス的回転のすすめ」

02霞ヶ浦にて。当時フォークジャンボリーを含めて、一緒に行動していた仲間との記念写真。

03朝日ソノラマという、音の出る雑誌というのがあった。フォークソングから若者文化、政治と時代を反映していた。70年代は政治の季節でもあった。

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牧村憲一(まきむら・けんいち):1946年、東京都渋谷区生まれ。音楽プロデューサー、「音学校」主宰。ユイ音楽工房の設立に参加後、CM制作会社オン・アソシエイツ音楽出版にてサイダーのCMなどを手伝う。その後音楽制作宣伝会社アワハウスを設立。加藤和彦、大貫妙子、竹内まりや、フリッパーズ・ギターら数々のアーティストの歴史的名盤の制作・宣伝を手がけ、現在も活躍中。著書に『「ヒットソング」の作りかた』(NHK出版)、『未来型サバイバル音楽論』(中公新書ラクレ、津田大介との共著)などがある。

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50 Years Radio
企画・制作:一般社団法人MAM
出演:牧村憲一
プロデューサー:マスヤマコム
レコーディング・音楽:美島豊明
プロダクション・マネージャー:山嵜健児

 

 

50 Years Radio -牧村憲一の50年- 010


50 Years Radio、第10回は90年代以降のお話を伺います。

50Y10_002Polarisの唯一の映像作品
サポートキーボードに原田郁子(クラムボン)、サポートギタリストに宮田まこと、スペシャルゲストに茂木欣一(東京スカパラダイスオーケストラ、フィッシュマンズ)と永積タカシ(ハナレグミ)を迎えて行った日比谷野音ライブの模様が収められている。

50Y10_003『深呼吸』はPolarisの代表作で、プロデュースしました。

50Y10_0042017年、コーネリアスのライブでPolralis のオーヤ君との久しぶりの再会。

50Y10_0052017年の奇蹟。ブリッジが再結成ライブ。通りがかりの者として、急遽出演しました。

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牧村憲一(まきむら・けんいち):1946年、東京都渋谷区生まれ。音楽プロデューサー、「音学校」主宰。ユイ音楽工房の設立に参加後、CM制作会社オン・アソシエイツ音楽出版にてサイダーのCMなどを手伝う。その後音楽制作宣伝会社アワハウスを設立。加藤和彦、大貫妙子、竹内まりや、フリッパーズ・ギターら数々のアーティストの歴史的名盤の制作・宣伝を手がけ、現在も活躍中。著書に『「ヒットソング」の作りかた』(NHK出版)、『未来型サバイバル音楽論』(中公新書ラクレ、津田大介との共著)などがある。

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50 Years Radio
企画・制作:一般社団法人MAM
出演:牧村憲一
プロデューサー:マスヤマコム
レコーディング・音楽:美島豊明
プロダクション・マネージャー:山嵜健児