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mim レクチャー #07 増田聡さん(大阪市立大学)・資料集

音楽のパクリについて

増田聡(大阪市立大学准教授・音楽学)

「どこまで似てたらパクリなの?」「パクリとリスペクトの境界ってどこ?」といった(よくある)疑問にはあまり答えられないかもしれません(すみません)。その代わり、われわれが何かを「パクリ」と呼ぶとき「そこで何が起きているか」を美学/芸術哲学の視点からやんわり眺めてみます。
「よく似たメロディ」と「同じメロディ」は「同じ」なのでしょうか? いろんな「よく似た」ポップスを聞き比べながら考えましょう。
スクリーンショット 2017-12-21 15.39.09

Todd Rundgren “Good Viblations” (1976)
The Beach Boys “Good Viblations” (1966)
トッド・ラングレンによるビーチ・ボーイズのカバー。通常、ポップスではこのような「原曲そっくり」を目指すカバーは行われない。カバーにおいてはほぼ必ず「なんらかの(あたらしい)創作」が行われている。
The Jimi Hendrix Experience “Purple Haze”
Kronos Quartet “Purple Haze”
The Shamen “Purple Haze”
「パープル・ヘイズ」の原曲とカバー2つ。ポップ・ミュージックにおける通常のカバーはこのようなもの。
10cc “I’m not in love”
ザ・ゲロゲリゲゲゲ「I’m Not in Love」(『パンクの鬼』収録)
アルバム曲名表を参照して聴いてください↓
ザ・ゲロゲリゲゲゲによる10ccの「カバー」。これは実質的にはカバーとは言い難いが、形式的には(原曲のタイトルが名指され、その「演奏」として扱われている点で)「カバー」であると見なさざるをえない(ちなみにJASRACへの著作権料支払いは行われていない)。
ポップ・ミュージックにおけるカバーは、トッド・ラングレンとゲロゲリゲゲゲのそれを両方の極とする範囲内で、さまざまなかたちで別作品を参照しつつ「創作」を行い、「同じ曲の異なる演奏」と称する。カバーとは「原曲を再び演奏したもの」というより、二つの「違う曲」の間に構築されるリンク関係と理解する方が適切。
日本で「音楽の剽窃」が争われた裁判例は現時点で二つのみ。
「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」事件と「記念樹」事件
Tony Bennett “Boulevard Of Broken Dreams”
「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」事件で「剽窃された」と訴えがあった原曲(もとは1933年の米映画の主題歌)
石原裕次郎「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」(当日は越路吹雪・歌で聴いた。YouTubeで聞けないためこちらを挙げておく)
「剽窃した」と訴えられた曲。裁判では原告敗訴、つまり「この曲は剽窃ではない」という判決がくだった。
「どこまでも行こう」
「記念樹」事件で「剽窃された」と訴えがあった原曲。ブリジストンのCMソング。
「記念樹」
「記念樹」事件で「剽窃した」とされた曲。こちらでは「ワン・レイニー〜」事件と異なり原告勝訴。つまりこの曲は「著作権侵害」とされ現在ではCDは廃盤。
裁判によって「剽窃」とされた曲であるが、「ワン・レイニー〜」事件の両者と比べて明らかに「こちらは剽窃」と言えるだろうか?
オレンジレンジ「ロコローション」
リリース当初は自作曲だったはずが、2004年紅白歌合戦の放送ではGerry Goffin & Carole Kingの作詞曲と表記され作曲者クレジットの変更が発覚。ネット世論や週刊誌で炎上。のちに、ゴフィン&キングの音楽出版社からのクレームでクレジットが変更された事実が明らかになる。
Little Eva “Loco-motion”
ゴフィン&キングによる「原曲』。しかしそんなに似ていない…(「ロコローション」のサビ終わりのフレーズが “Loco-motion”のAメロと似ているのみ)
Shampoo ” Trouble”
むしろ全体的な構造としてはこちらが「ロコモーション」の雛形となっているように感じられる。
音楽的類似性よりも「タイトルの類似性」という文脈が「パクリ」の認定に影響した一例。
TINY BRADSHAW “THE TRAIN KEPT A-ROLLIN”(1951)
ロック・クラシックの「トレイン・ケプト・ローリン」の原曲。
Johnny Burnette Trio “Train Kept A Rollin'”(1956)
ブラッドショウのバージョンとかなり印象が違うが、著作権者はブラッドショウ。
The Yardbirds “Train Kept A Rollin'”(1965)
著名なヒット・バージョン。著作権者はブラッドショウだがバーネットのギターリフを下敷きとしたサウンド。
サンハウス「レモンティー」(1975)
日本ロック史初期の「お手本の模倣」。明らかにヤードバーズの「トレイン・ケプト・ローリン」が下敷きになっているが、著作権者はサンハウス名義。
音楽的な創作性の継承関係と著作権クレジット(お金の行き先)が別のロジックに属していることがわかる。
Led Zeppelin “The Lemon Song” (1969)
ハードロックの祖であるツェッペリン作曲として当初リリースされたこの曲も、シカゴブルースの大物であったハウリン・ウルフ(ブルースブームであった当時の英国では著名だった)の曲の剽窃であると非難され、のちに作曲者クレジットが変更された。
Howlin’ Wolf “Killing Floor” (1964)
ベースラインの類似性に注目(こういう場合は「注耳」と記すべきか)。しかしこの時点では生成途上にあったハードロックが、音楽史の中に確固とした位置を占めた歴史を経たこんにち、ツェッペリンとハウリン・ウルフによる二つの曲は「全く別物」に聞こえてくる。そのことは、音楽の類似性を発見し「パクリ」とみなす聴取のありようが、歴史的な聴取の文脈変容、すなわち「音楽のどの側面を重要なものとして聴いているか」の違いに左右されているという事実を指し示している。

 

50 Years Radio -牧村憲一の50年- 011


50 Years Radio、第11回は1970年(昭和45年)のお話を伺います。
1970年9月16日のコンサート企画をしたことがきっかけとなり、小室等と六文銭のマネージャーへと繋がった。この年、23歳。

011970年10月に発売された。岡林信康(演奏・はっぴいえんど)の「だからここに来た/コペルニクス的回転のすすめ」

02霞ヶ浦にて。当時フォークジャンボリーを含めて、一緒に行動していた仲間との記念写真。

03朝日ソノラマという、音の出る雑誌というのがあった。フォークソングから若者文化、政治と時代を反映していた。70年代は政治の季節でもあった。

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牧村憲一(まきむら・けんいち):1946年、東京都渋谷区生まれ。音楽プロデューサー、「音学校」主宰。ユイ音楽工房の設立に参加後、CM制作会社オン・アソシエイツ音楽出版にてサイダーのCMなどを手伝う。その後音楽制作宣伝会社アワハウスを設立。加藤和彦、大貫妙子、竹内まりや、フリッパーズ・ギターら数々のアーティストの歴史的名盤の制作・宣伝を手がけ、現在も活躍中。著書に『「ヒットソング」の作りかた』(NHK出版)、『未来型サバイバル音楽論』(中公新書ラクレ、津田大介との共著)などがある。

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50 Years Radio
企画・制作:一般社団法人MAM
出演:牧村憲一
プロデューサー:マスヤマコム
レコーディング・音楽:美島豊明
プロダクション・マネージャー:山嵜健児

 

 

50 Years Radio -牧村憲一の50年- 010


50 Years Radio、第10回は90年代以降のお話を伺います。

50Y10_002Polarisの唯一の映像作品
サポートキーボードに原田郁子(クラムボン)、サポートギタリストに宮田まこと、スペシャルゲストに茂木欣一(東京スカパラダイスオーケストラ、フィッシュマンズ)と永積タカシ(ハナレグミ)を迎えて行った日比谷野音ライブの模様が収められている。

50Y10_003『深呼吸』はPolarisの代表作で、プロデュースしました。

50Y10_0042017年、コーネリアスのライブでPolralis のオーヤ君との久しぶりの再会。

50Y10_0052017年の奇蹟。ブリッジが再結成ライブ。通りがかりの者として、急遽出演しました。

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牧村憲一(まきむら・けんいち):1946年、東京都渋谷区生まれ。音楽プロデューサー、「音学校」主宰。ユイ音楽工房の設立に参加後、CM制作会社オン・アソシエイツ音楽出版にてサイダーのCMなどを手伝う。その後音楽制作宣伝会社アワハウスを設立。加藤和彦、大貫妙子、竹内まりや、フリッパーズ・ギターら数々のアーティストの歴史的名盤の制作・宣伝を手がけ、現在も活躍中。著書に『「ヒットソング」の作りかた』(NHK出版)、『未来型サバイバル音楽論』(中公新書ラクレ、津田大介との共著)などがある。

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50 Years Radio
企画・制作:一般社団法人MAM
出演:牧村憲一
プロデューサー:マスヤマコム
レコーディング・音楽:美島豊明
プロダクション・マネージャー:山嵜健児

50 Years Radio -牧村憲一の50年- 009


50 Years Radio、第9回は90年代にやられたレーベル、トラットリアとウィッツそれとはまた別のお話。

50Y09_002『ピエール・バルーとサラヴァの時代』松山晋也・著

50Y09_003ピエール・バルー追悼盤 牧村憲一・選

50Y09_004喫茶店に飾ってあった、シングル盤

50Y09_005日本コロムビア時代の作品集、プロモーション用カセット

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牧村憲一(まきむら・けんいち):1946年、東京都渋谷区生まれ。音楽プロデューサー、「音学校」主宰。ユイ音楽工房の設立に参加後、CM制作会社オン・アソシエイツ音楽出版にてサイダーのCMなどを手伝う。その後音楽制作宣伝会社アワハウスを設立。加藤和彦、大貫妙子、竹内まりや、フリッパーズ・ギターら数々のアーティストの歴史的名盤の制作・宣伝を手がけ、現在も活躍中。著書に『「ヒットソング」の作りかた』(NHK出版)、『未来型サバイバル音楽論』(中公新書ラクレ、津田大介との共著)などがある。

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50 Years Radio
企画・制作:一般社団法人MAM
出演:牧村憲一
プロデューサー:マスヤマコム
レコーディング・音楽:美島豊明
プロダクション・マネージャー:山嵜健児

50 Years Radio -牧村憲一の50年- 008


50 Years Radio、第8回は1990年代にやられたもう一つのレーベルのお話。

50Y08_002L⇔R、ファースト・アルバム時のパンフレット

50Y08_003L⇔R、セカンド・アルバム用のプロモーション盤。EP仕様

50Y08_004WITS、WITZのプロモーション用グッズ。SPIRAL LIFEデビュー時の無料サンプル盤

50Y08_005岡井大二プロデューサーの最近の肖像画

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牧村憲一(まきむら・けんいち):1946年、東京都渋谷区生まれ。音楽プロデューサー、「音学校」主宰。ユイ音楽工房の設立に参加後、CM制作会社オン・アソシエイツ音楽出版にてサイダーのCMなどを手伝う。その後音楽制作宣伝会社アワハウスを設立。加藤和彦、大貫妙子、竹内まりや、フリッパーズ・ギターら数々のアーティストの歴史的名盤の制作・宣伝を手がけ、現在も活躍中。著書に『「ヒットソング」の作りかた』(NHK出版)、『未来型サバイバル音楽論』(中公新書ラクレ、津田大介との共著)などがある。

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50 Years Radio
企画・制作:一般社団法人MAM
出演:牧村憲一
プロデューサー:マスヤマコム
レコーディング・音楽:美島豊明
プロダクション・マネージャー:山嵜健児

50 Years Radio -牧村憲一の50年- 007

50 Years Radio、第7回は1993年以降の話。

50Y07_002bend it企画書

50Y07_004デビューシングル プロモーション盤

50Y07_005コーネリアス ライブ盤(プロモーション用)

50Y07_006TFC フリーデザインのプロモーション盤

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牧村憲一(まきむら・けんいち):1946年、東京都渋谷区生まれ。音楽プロデューサー、「音学校」主宰。ユイ音楽工房の設立に参加後、CM制作会社オン・アソシエイツ音楽出版にてサイダーのCMなどを手伝う。その後音楽制作宣伝会社アワハウスを設立。加藤和彦、大貫妙子、竹内まりや、フリッパーズ・ギターら数々のアーティストの歴史的名盤の制作・宣伝を手がけ、現在も活躍中。著書に『「ヒットソング」の作りかた』(NHK出版)、『未来型サバイバル音楽論』(中公新書ラクレ、津田大介との共著)などがある。

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50 Years Radio
企画・制作:一般社団法人MAM
出演:牧村憲一
プロデューサー:マスヤマコム
レコーディング・音楽:美島豊明
プロダクション・マネージャー:山嵜健児

50 Years Radio -牧村憲一の50年- 006

50 Years Radio、第6回は1990年代前半のトラットリアレーベルの話パート2。

50Y06_00090年代、ブルータス掲載写真です。

50Y06_001プロモーション用非売品CD

50Y06_002プロモーション用シングルCD

50Y06_003トラットリアの若大将カジくん、盟友ヴィナぺたち。

50Y06_004ファンタズマ、プロモーション冊子。

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牧村憲一(まきむら・けんいち):1946年、東京都渋谷区生まれ。音楽プロデューサー、「音学校」主宰。ユイ音楽工房の設立に参加後、CM制作会社オン・アソシエイツ音楽出版にてサイダーのCMなどを手伝う。その後音楽制作宣伝会社アワハウスを設立。加藤和彦、大貫妙子、竹内まりや、フリッパーズ・ギターら数々のアーティストの歴史的名盤の制作・宣伝を手がけ、現在も活躍中。著書に『「ヒットソング」の作りかた』(NHK出版)、『未来型サバイバル音楽論』(中公新書ラクレ、津田大介との共著)などがある。

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50 Years Radio
企画・制作:一般社団法人MAM
出演:牧村憲一
プロデューサー:マスヤマコム
レコーディング・音楽:美島豊明
プロダクション・マネージャー:山嵜健児

50 Years Radio -牧村憲一の50年- 005


50 Years Radio、第5回は1992年の話

50Y05_021992年のTRATTORIA のプロモーションサンプラー

50Y05_03TRATTORIAサンプラーVOL1の収録曲

50Y05_04TRATTORIAサンプラーVOL2の収録曲

50Y05_05サラヴァのカタログ・ガイド

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牧村憲一(まきむら・けんいち):1946年、東京都渋谷区生まれ。音楽プロデューサー、「音学校」主宰。ユイ音楽工房の設立に参加後、CM制作会社オン・アソシエイツ音楽出版にてサイダーのCMなどを手伝う。その後音楽制作宣伝会社アワハウスを設立。加藤和彦、大貫妙子、竹内まりや、フリッパーズ・ギターら数々のアーティストの歴史的名盤の制作・宣伝を手がけ、現在も活躍中。著書に『「ヒットソング」の作りかた』(NHK出版)、『未来型サバイバル音楽論』(中公新書ラクレ、津田大介との共著)などがある。

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50 Years Radio
企画・制作:一般社団法人MAM
出演:牧村憲一
プロデューサー:マスヤマコム
レコーディング・音楽:美島豊明
プロダクション・マネージャー:山嵜健児

50 Years Radio -牧村憲一の50年- 004

50 Years Radio、第4回は1991年の話

50Y04_02サード・アルバムの宣伝資料

50Y04_03先行シングル『GROOVE TUBE 』のプロモーションCDのジャケット

50Y04_04サード・アルバムの飛び出る写真の鑑賞法のモデル、櫻木景氏

50Y04_05幻の4thアルバムの交渉時に、チェリーレッドから貰ったリリース予定表

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牧村憲一(まきむら・けんいち):1946年、東京都渋谷区生まれ。音楽プロデューサー、「音学校」主宰。ユイ音楽工房の設立に参加後、CM制作会社オン・アソシエイツ音楽出版にてサイダーのCMなどを手伝う。その後音楽制作宣伝会社アワハウスを設立。加藤和彦、大貫妙子、竹内まりや、フリッパーズ・ギターら数々のアーティストの歴史的名盤の制作・宣伝を手がけ、現在も活躍中。著書に『「ヒットソング」の作りかた』(NHK出版)、『未来型サバイバル音楽論』(中公新書ラクレ、津田大介との共著)などがある。

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50 Years Radio
企画・制作:一般社団法人MAM
出演:牧村憲一
プロデューサー:マスヤマコム
レコーディング・音楽:美島豊明
プロダクション・マネージャー:山嵜健児

50 Years Radio -牧村憲一の50年- 003

50 Years Radio、第3回は1990年の話、前年にデビューしたフリッパーズ・ギターがヒットし始め、ツァーではファンのファッションにまで影響を与えた様子を目の当たりにし、牧村自身も「ブームを作った」と実感したそうです。

50y03_001オリコンシングルチャート

 

50y03_002フリッパーズ・ギターにとって、初めての賞状

 

50y03_003フリッパーズ・ギターの記事集(非売品)

 

50y03_004フリッパーズ・ギター記事集続編

 

50y03_005フリッパーズ・ギターの友人たち

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牧村憲一(まきむら・けんいち):1946年、東京都渋谷区生まれ。音楽プロデューサー、「音学校」主宰。ユイ音楽工房の設立に参加後、CM制作会社オン・アソシエイツ音楽出版にてサイダーのCMなどを手伝う。その後音楽制作宣伝会社アワハウスを設立。加藤和彦、大貫妙子、竹内まりや、フリッパーズ・ギターら数々のアーティストの歴史的名盤の制作・宣伝を手がけ、現在も活躍中。著書に『「ヒットソング」の作りかた』(NHK出版)、『未来型サバイバル音楽論』(中公新書ラクレ、津田大介との共著)などがある。

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 50 Years Radio
企画・制作:一般社団法人MAM
出演:牧村憲一
プロデューサー:マスヤマコム
レコーディング・音楽:美島豊明
プロダクション・マネージャー:山嵜健児